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 龍馬像に遅れること7年



 高知市桂浜の坂本龍馬銅像誕生の物語は広く知られていますが、室戸岬に立つ中岡慎太郎銅像(写真)のそれはあまり伝えられていません。維新を前に倒れた両雄の偉業に落差はありませんが、銅像の実現には実に7年の時が流れています。
 土佐史談170号(昭和60年、坂本龍馬生誕150年記念特集号)に室戸市羽根町の山本武雄さんが「中岡慎太郎の銅像が出来るまで」を書いています。それと当時の新聞に基づいて同銅像建設史をまとめてみましょう。
 「贈正四位中岡慎太郎」銅像(題字田中光顕)は昭和10年4月7日に除幕式が行われました。当日の模様を伝える高知新聞(5月7日付)記事の書き出しは次の通りです。
 「荒浪吼ゆるてふ室戸岬頭に建てられた幕末勤王の志士、元の陸援隊長中岡慎太郎先生の銅像除幕式は、五月晴れの7日、滞りなく執行されて岬頭に一偉観を添へた。この日は浪もなく極めて和やかな天候で芸東一帯は喜びの坩堝と化した。」
 慎太郎銅像については龍馬銅像建設の話し合いの中で同時着工論が退けられた経緯があったのでしょうか、山本さんは「北川村の青年団長川口清晴は慎太郎像を安芸郡下の青年の手で絶対に建てようと決意した。龍馬像と同時建設を主張して容れられなかった安芸郡青年の心意気である」と書いています。
 川口青年はまず安芸郡連合青年団長高松清男に協力を要請し、同連合青年団は昭和4年4月(龍馬像除幕の翌年)自分たちだけで建設することを議決しました。そして地元(安芸郡奈半利町)出身の“土佐の交通王”野村茂久馬に会長就任を懇請、快諾を得ました。茂久馬は龍馬像の時も建設会長を務めています。
 高松連合青年団長は間もなく亡くなりましたが、後任には津呂村(室戸市室戸岬町)の山田周作が就任、銅像建設会副会長も兼ねて川口青年団長と力を合わせて募金活動に全力を挙げます。
 募金目標は2万5000円。内訳は安芸郡連合青年団1万円(24町村青年団に割り当て)◇県外有志寄付金1万円◇県内各市町村青年団5000円。
 資金集めはたやすくはありませんでした。龍馬像に2万円を拠出した直後の県下青年団でしたし、郡全体の関心は鉄道後免・安芸線の建設に集まっていました。1929年(昭和4年)に始まった世界大恐慌による経済不況、浜口雄幸首相狙撃事件に象徴される不穏な政情に加えて室戸台風(昭和9年=1934年)の被害もあり、銅像建設の趣旨には賛同しても実際にお金を出すとなるとなかなか腰の上がらない雰囲気でした。
 もろもろの困難を乗り越えて青年たちは行脚を続け、初志を貫徹します。集めたお金は2万5657円。うち県外寄付金は海軍中将坂本一を東京後援会長とし、県出身33名が1人300円、岩崎小弥太は400円を寄せたということです。
 (小弥太は岩崎弥太郎の弟弥之助の長男で、弥太郎の長男久弥の後を継いで大正5年三菱財閥の4代目社長となりました。昭和20年まで在任)
 銅像は桂浜の龍馬像と同じ本山白雲が製作に当たりました。
 昭和10年(1935年)3月27日、横浜港で土佐商船の第3米丸に積み込み、4月1日午後3時室戸港に到着、港改修工事に従事していた起重機船で陸揚げ、2台連結の大型荷車に載せて途中綱引き用の綱で引き、室戸岬の現場に運びました。
 慎太郎像は身長5㍍30㌢で桂浜の龍馬像と同じ。製作者の白雲は来町して据え付け作業を指揮、4日午後4時には台座とも13㍍50㌢の像を白布で覆い、除幕式の準備を整えました。
 除幕式には中岡家の遺族として姪に当たる中岡子未亡人(64歳)が東京から来町して除幕しました。陸援隊副隊長でただ1人の生存者田中光顕も出席の予定でしたが病気のため来ることが出来ず、祝電での参加となりました。新聞記事によりますと、当日は「隣接各町村はもとより遠く高知方面より来遊するもの夥しく、室戸岬頭は実に近年にない人出であった」とあります。多くの出席者のなかに山地土佐太郎、寺石正路や陸軍の宮地中将、大川少将、森下少将の名もみえます。
 この中岡慎太郎銅像は戦時中の金属類回収令による回収を免れ今に至っていますが、このことについては5月21日付本欄(80)「坂本龍馬銅像は残った」を参照してください。
 なお山本武雄さんのこの記事は次のように結ばれています。
 「近江屋の現場に駆け付け傷の手当てを行った川村盈進は『土佐一覧記』を著わした室戸の郷士川村与惣太の孫である。夫人勝(兼)は室戸の浮津村領家村庄屋利岡馬之助の妹で賢夫人の誉れ高く、慎太郎の姉の子照行を養子に迎え弁護士に大成さした。」
 慎太郎銅像とは直接の関係はありませんが、この機会にぜひ知ってもらいたいという思いのこもった追伸のように感じます。
 (川村与惣太貞佳=かわむら・よそうた・さだよし=は1720~1784年の人。与三太とも。『土佐一覧記』は土佐各地を巡って地誌や故事を記すとともに、それらの地名にちなんだ自作の歌を収載した風土記的歌集。川村えいしんは土佐藩の医師で、坂本龍馬の家の裏通り水通町に屋敷があり、龍馬の手紙にも登場します。近江屋事件の時は京都の藩邸におり、田中光顕に呼ばれて、まだ息のあった中岡慎太郎の手当てをしたことで知られていますが、山本さんはその他のことも言いたかったのでしょう)
 山本さんの記事を離れて一言。龍馬・慎太郎が殺された近江屋の部屋に掛かっていた掛け軸「梅椿図」、先ごろ高知県立歴史民俗資料館で開かれていた「龍馬伝」展で実物を見せてもらいました。第一印象は「あれ、こんなに小さかったのか」でした。この絵を描いて龍馬にプレゼントした淡海槐堂(板倉槐堂)については本ブログ5月1日と11日付に「志士のスポンサー」と題して紹介してありますので読んでください。

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     維新の群像10講座
土佐史談会は平成22年度郷土史講座として「維新の群像10講座」を開いています。
          講師   テーマ
  5月29日 永国淳哉 ジョン万と小龍(了)
  6月27日 渡部淳  山内容堂(了)
  7月31日 松岡 司 武市半平太(了)
  8月27日 宅間一之 吉田東洋(了)
  9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士
 10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土
 11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎
 12月10日 今井章博 後藤象二郎
  1月29日 谷  是 岩崎弥太郎の生涯
  2月25日 公文 豪 板垣退助
 場所 高知県立文学館ホール
 時間 午後1時30分~3時30分
 参加費 無料(参加人数は100名)
  葉書かFAXで申し込みください。

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