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   岡田以蔵、敬吉、虎輔と江藤新平
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」に岡田以蔵が登場しています。龍馬より3歳年下の天保6年(1838年)生まれ。いまはまだ武市半平太の若い門人ですが「人斬り以蔵」と呼ばれることになるテロリストです。TBS系ドラマ「ブラッディ・マンデイ」で天才ハッカーの主人公の親友で現職総理大臣の孫、音弥(おとや)を演じている佐藤健(たける)が扮しています。以蔵の恋人役(臼田あさ美)も創作されるといいますから、どんな物語が展開されるのてしょう。
 しかし今回は以蔵の話ではありません。弟の敬吉(啓吉とも)と江藤新平にまつわる秘話であります。
 江藤新平はご承知の通り明治新政府で司法卿を務め、司法制度の整備に功績を残した政治家ですが、最後は士族の反乱の首謀者として処刑されます。
 明治6年(1873年)征韓論に敗れ、西郷隆盛や板垣退助らとともに下野、翌7年佐賀の乱を起こします。強力な政府軍の火力の前に鎮圧され、鹿児島を経て四国宇和島から高知に逃れ、徳島県との境の東洋町で捕らわれの身となります。
 この逃走経路について土佐史談には多くの記事がありますが、新しいものとして185号(平成3年)の岡林清水氏「土佐の海浜文学-江藤新平の航跡を追って-」(1~7ページ)を挙げておきます。
 その中で高知市での一夜について「酒楼此君亭(しくんてい)に投宿したのち亭主内川源十郎の好意で北新町の岡田敬吉の家に移り、その翌朝、江の口川を舟で下り高知を脱出した」とあります。
 もうすこし詳しく書きましょう。
 土佐史談29号(昭和4年)に中村の郷土史家・上岡保次郎氏が「江藤新平入国余話」という記事を書いています。江藤を中村の下田から高知の桂浜へ舟で送った人たちのことを記憶していた72歳の老婦人との問答ですが、この記事を読んだ土佐史談会の会員で東京吉祥寺に住む岡田虎輔氏から、私の家にもこんな話が伝わっていると土佐史談会へ手紙がきました。その手紙の全文。
 「余が父敬吉は、実兄以藏(維新勤王岡田以藏のこと)の勤王の遺志を継ぎ、矢張り同志と共に國事に奔走して居たが、明治の初、土佐の志士が、薩肥の諸士と仝時に蹶起し、海外に事あらんとする時(征韓論)、之に賛同し、弾薬の如きものを床下に隠し埋めて置いた事があつたそうで、祖母より聞かされたことがあつた。
 江藤新平が佐賀より土佐へ落ちて來りしとき、同志と共に極めて秘密に、江藤を一夜我が宅に泊らし、それより之を東郡に落した、當時自分の宅は、今の高知市北新町四丁目十九番屋敷にあつて、父は明治十五年に死し、祖母里江といふが、其の後明治三十九年八十九歳で死去したが、此の祖母が一人之を知れるのみで、父の死後、自分は祖母より當時の摸様を時々聞かされて、子供心にも深く感じ肝に銘じ記憶して居る。
 江藤の我が家に宿泊したときは、我家の家族は父敬吉、母はま、祖母里江並に余(此の時二歳)の四人暮しであつた、父は突然母に向ひ、小供をつれ即刻里子に行けと命じた、さうすると母は其の意外に驚き、泣いて何故かを質したれぱ、父は其の理由を語らず、大喝一聲して妻子を逐出たれぱ、母は己むなく自分を連れ悄然として里方に行いた。
 然して此の里方は誰あらふ、偶然にも同土佐史談二十九號に載せてある、寺石先生の戊辰役、今市合戦の記事中、板垣総督の軍使に立つた小松愛藏の家であつた、余が母の里は小松家で、母は愛藏の長女であつた。
 其日の夜半に、江藤の一行は忍ぴ足で我家に入り來りけれぱ、祖母一人の手にて甲斐々々しく酒肴を調へ供したれば、主客は徹宵飲み且つ談したが、翌朝未明に、鐵砲町より網船を仕立て江藤を舟底に匿し、其上に同勢が膝を並べ、酒打酌み舟遊の風を装ひつゝ、吸江に出で夫より下田川を遡り下田にて窃かに江藤を舟より上げ、東郡に送つたといふ、以上皆祖母が生前中の物語りであつた。」
 以上、土佐史談30号、寺石正路(杜山居士)「郷土志断片 其九十一 江藤新平高知潜伏の一夜」より。30号が高知県立図書館にないので、あえて原文どおり掲載しました。
 このあと江藤は久枝(南国市)で物部川を渡り東に向けて逃走の旅を続けるのですが、川の渡し賃に庶民には縁のない10円札を使ったことが捕吏への手掛かりになったと伝えられます。(宗光清著『江藤新平らの土佐潜行』)。
 また私は江藤を逮捕した高知県官吏・細川是非之助(ぜひのすけ)をその人格と独特の名前のゆえに忘れることができません。
 最近この江藤逮捕をめぐる新しい史料が発見されたと昨年8月17日の高知新聞夕刊が報じています。「佐賀県脱走人江藤新平及同徒捜索御用入費明細纏」と題された江藤ら9人を捕縛するのに要した人件費など諸経費の明細書です。
 是非之助の出張旅費が22円35銭、江藤らを寝ずの番で監視した役人の弁当代が毎夜2人・11日間で2円31銭など。総額では213円74銭1厘に上っています。
 なお岡田虎輔氏は高知県立第4中学校(中村)校長から煙草専売局技師に転じ、鈴木商店に入ったのち民間煙草会社の社長を務めた実業家です。
 高知新聞社発行の『高知県人名事典』でこの人の横顔を書くに当たって、私は土佐史談会会員名簿からこの人のご子孫が東京吉祥寺に今も住んでいるんではないかと、電話帳の岡田姓33人のうち第1陣として10人に手紙を出して問い合わせたところ、いました。お孫さんの岡田昭五郎さん、詳しい経歴をいただき書くことができました。これも忘れることができません。

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