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 「長宗我部人気、テレビゲームで急上昇」という記事が10月22日の高知新聞に載りました。

 カプコンという会社が売り出しているゲームソフト「戦国BASARA」に長宗我部元親が海賊の親分として登場し、子分から「アニキ」と呼ばれているそうです。

 長宗我部元親(長曽我部元親となっている本もあります)、土佐人なら知らぬ人はないでしょう。徳川時代の山内氏の前、戦国時代はこの人が土佐の支配者でした。

 永禄3年(1560年)父の死後家督を継ぎ、岡豊城(現南国市)を拠点に15年かかって天正3年には土佐全土を支配下に収めました。現高知市に本拠を移し天下取りを目指します。

 野心家ですねえ。激しい戦火を交えながら天正13年春には四国統一を果たしますが、豊臣秀吉の四国征伐にあって降伏、もとの土佐一国に封じ込められました。

 この人、戦争だけでなく、政治家としても非凡な才能を発揮し、文学のたしなみもあったと伝えられていますが、今回はこれは措いて、海賊・水軍の話。

 秀吉の配下に入った元親は、秀吉の全国制覇の先兵として各地の戦闘に動員され、外国にまで遠征させられます。

  『土佐史談』173号(昭和61年)で吉永豊実氏が「長宗我部氏の海事政策」と題して論じていますが、水軍による戦として①長浜城戦②大隅攻略③小田原城戦④朝鮮遠征を挙げています。

 ここでは小田原城戦を取り上げます。

 天正18年(1590年)春、天下統一の仕上げを目指した秀吉の命令で、北條氏(隠居・氏政、当主・氏直)を小田原城に攻めます。(小田原評定というのはこの時のことです) 

 元親は大黒丸という大船を陣頭指揮して上陸作戦を敢行、大勝を収めて秀吉から「今度の手柄日本一」とお褒めの言葉をいただきます。乗組員にも鳥目(銭)など数々の褒賞があり、日頃から力を入れていた船の成果があがった戦でした。

 元親の伝記『元親記』の「小田原陣の事」を掲げます。(土佐文学研究会著『注釈元親記』=昭和47年、土佐史談会発行)

 四国衆は船手ににして、伊豆崎を乗り廻し、佐川口の請取り(担当)にて、元親、加藤左馬助殿同じ口に陣取って堅め、要害を拵へ持たれたり。
 この時、元親卿大黒丸と云ふ十八端帆の大船、池六右衛門船大将して、伊豆崎を乗り廻し、塩懸かりして(潮時を待って停泊)元親卿よりの一左右(命令)を待つ。
 この船、櫓衆(矢倉衆、兵士)二百人乗りたり。石火矢(大砲)二挺、十匁の鉄炮二百挺、弓百張、鎗二百本、長刀六十枝、熊手、火矢の道具、数限りなく入れたり。
 扨、塩時を得て、一左右有りて船を飾り立て、どらを打ち、貝を吹き、船子ども足拍子を揃へ、板を踏み鳴らし、喚き叫んで城の南表より押し入る。(中略)浜の手の櫓を二つ、石火矢を以て打ち崩し、要害を打ち破り(後略)
 
 このあと元親は秀吉の暴挙の手先となって朝鮮に水軍を出します。この時の残虐行為を見ますと、「アニキ」と呼ぶには躊躇しますが、海賊のキャプテンとしてイメージしたゲームソフトもあながち的外れではないように思えてきました。
 
 しかし、海賊の名がなぜ「長宗我部」でなければならないかは分かりません。珍しい姓だからでしょうか。


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