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 森小弁という人を知っていますか…いきなりいわれても答えられる人は少ないと思いますが、さきごろ(2008年11月)来日され高知をも訪問したミクロネシア連邦エマニュエル・マリー・モリ大統領のひ祖父さんに当たる人です。

 明治25年(1892年)たった一人でトラック諸島(現チューク州)に上陸、現地の娘さんと結婚してコプラの輸出を手がけ、同諸島水曜島の大酋長に押し上げられました。

 11人の子宝に恵まれましたので今では2000人を超す子孫がいるといわれます。

 平成9年にひ孫のマーリーンさんが高知を訪れていますが、この方は小弁の11番目の子の子供(16人)の子・実氏の長女と言っていましたから一大ファミリーの繁栄ぶりがうかがわれます。

 人口11万人の2割を占める日系の人たちに支えられて大統領は2007年5月に選出されました。小弁の長男・太郎の孫。ことし59歳。

 小弁は昭和8年(1933年)から講談社の雑誌『少年倶楽部』に連載された「冒険ダン吉」という絵物語のモデルとされることもありますが、それはどうもあやしく、作者の島田啓三のフィクションであるとの説が有力です。主人公のダン吉はなぜか腕時計をはめています。しかしその生涯はダン吉そのものです。

 森小弁(1869~1945年)の人となりは、『高知県人名事典 新版』(高知新聞社刊)から引用さしてもらいます。

 「明治2年10月15日現高知市生まれ。父可造、母加奈。若いころは自由民権運動に傾倒し、激化事件の一つ大阪事件に連座して投獄される。出獄後政治を志し高知縣出身の政治家・大江卓、後藤象次郎の玄関番になるが、やがて政治に失望、当時の北守南進論の影響もあって南洋貿易を夢見るようになる。新設のミニ商社「一屋商会」に入り、明治24年(1891年)12月帆船「天祐丸」で横浜を出港」した。

 そしてミクロネシア初の日本人定住者となるわけですが、この森氏の先祖はなんと豊臣秀吉に最初から仕え九州小倉の城主にまでなった壱岐守勝信と分かりました。関ケ原の戦では敗軍の将ですが、山内一豊が引き取って子供ともども土佐に住んでいました。

 森(毛利)勝信の嫡男は豊前守勝長、大阪夏の陣が始まると土佐から駆けつけ、真田幸村が右陣を守れば、勝長は左陣を受け持って徳川家康軍と戦い、遂に長男とともに討死しています。

 その二男司次が土佐へ逃げてきて土着、その子が荒地を開拓して郷士にとり立てられ、幕末維新に至って小弁の従兄三兵衛が戊辰戦争で戦死、その功で森家は上士である新御留守居組に昇格しています。

 これらのことは『土佐史談』108号(平成10年)と215号(同12年)で内川清輔氏が、発掘した新史料も交えて発表しています。内川氏は「なんと波瀾に富み、歴史を強く生きた家系であろうか」と感嘆していますが、これに続く小弁からエマニュエル大統領に至る生き様も私たちを勇気付けるものがあります。

 なおモリ大統領は今回初めて高知まで足を延ばし、11月8日から10日まで滞在しました。この間、高知市中秦泉寺にある勝信の墓にお参りを果たしています。高知城や日曜市にも徒歩で出かけました。高知新聞は「外務省の担当官はおろか警護もつかず」と書いていましたが、まさか。いくら非公式訪問と言っても一国の元首です。警備陣、本当に知らん顔だったでしょうか。


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