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 File0007兆民顔
中江兆民先生(高知県人名事典新版=高知新聞社刊=から拝借)

 昭和63年7月に刊行された『山内家史料 幕末維新第13編』424ぺージ下段に次のような簡単な辞令が載っている。

           中江篤助
 右ハ佛学修行被仰付之
    十二月三日

 この辞令には発令者の名がないが、「高知藩誌」を記録したものであることから高知藩当局であろう。
 また日付が「明治3年12月3日」であることは、この史料が明治3年3月4日から同4年5月末日までの記録集であることからわかる。
 とすると、この辞令にどんな意味があるのだろうか。
 中江兆民が「英学爲修行方」長崎行きを命ぜられたのは慶応元年9月で、この辞令はそれから5年余りたっている。江戸、横浜、兵庫と移って再び東京へ戻ってきて、この年の5月には大学南校の先生としてフランス語を教える立場に立っている。
 いまさら仏学修行を仰せ付けられることもあるまい。
 兆民が長崎行きの藩命を受けた目的は「英学」を勉強するためであった。しかし、どんな事情があったのか、修行したのは「フランス学」であった。
 幕末の土佐藩で藩の意図に添わないこうした行動がどうして黙認されたのか。
 勉学の内容は他人には見えないので黙っていれば分からないかもしれないが、東京や横浜へ移ることについては、個人の勝手が許されるはずがない。
 東上については参政・後藤象二郎に船賃25両を出してもらっているから、これが藩の了解とみなされるかもしれないが、正式な変更手続きがされた形跡はなさそうである。
 そして兆民は明治3年、徴士として大学南校に採用される。同じ『山内家史料 幕末維新第13編』418ぺージ下段にはこうある。

 [高知藩誌]徴士
           中江篤助
           大石監次郎
 右篤助儀ハ大得業生監次郎ハ中得業生
 申付候爲御心得此段申達候也
    庚午五月廿四日  大学南校

 これにより、中江兆民が大学南校の大得業生に発令されたのは明治3年5月24日であることが分かる。兆民24歳であった。
 また同書424ぺージには、この人事を高知藩知事へ通知した次のような記事も載っている。

 [高知藩誌]徴士類
           中江篤助
           大石監次郎
 右篤肋儀ハ大得業生監二郎ハ中得業生
 申付候爲御心得此段申達候也
     庚午五月廿四日  辨官
   高知藩知事殿

 徴士とは明治新政府が諸藩から引き抜いた有識者。太政官日誌によるとこうなる。
  「無定員、諸藩士及都鄙有才ノ者、公議ニ執リ抜擢セラル、則徴士ト命ズ」。
 そして「参与職各局ノ判事ニ任ズ、又其一官ヲ命ジテ参与職ニ任ゼザル者アリ、在職四年ニシテ退ク、広ク賢才ニ譲ルヲ要トス、若其人当器尚退クベカラザル者ハ、又四年ヲ延テ八年トス、衆議ニ執ルベシ」(『新聞集成明治編年史』第一巻15ぺージ)
 ここに出てくる大学教官としての得業生とは博士、教授、助教に次ぐ身分で、大博士、中博士、少博士というふうに各々大、中、少の三階級に分かれていた。なじみ薄い言葉だが、天平時代(730年代)に使われた呼び名の復活である。ただし古代の読み方は『とくごうしょう』(広辞苑)。
 兆民と並んで名前のあがっている大石監次郎(監二郎)は、香美郡吉川村の生まれ、英学を修め、高知師範学校長などを務めた人物で、兆民より四歳年上である。『高知県人名事典(新版)」には大石監二の名前で紹介されている。
 これに先立つ明治2年高知藩は、国を出て学ぶ人士のために留学手当を支給する制度を定めた。昭和44年10月に高知市民図書館から発行された『土佐藩政録』(高知地方史研究会編、土佐群書集成第二十巻)の明治2年8月の条には次のようにある。

  是月藩士文武修行ノ爲メ他藩並横浜等ニ学フ者ニ米金ヲ給与スルノ制ヲ改ム
  但修業ヲ命スル輩ハ階級ヲ論セス月金五円ヲ給ス(同書下巻59ぺージ)

 兆民が明治34年8月30日付石黒忠悳男爵宛の手紙(中江兆民全集16』226ぺージ)で回想した月5円の手当はこの制度に基づく給与であろう。
 兆民はこの学資を受けていた時期について「裡神保町なる箕作麟祥先生之私塾ニ居候」と書いている(前掲石黒忠悳宛書簡)。
 その麟祥が神田南神保町に塾を開いていたのは明治2年5月から同4年2月までといわれる。
 冒頭の仏学修行を仰せ付けるという辞令はこの手当を支給するため、あるいは支給を受けるため、兆民の身辺を整理したものと考えることはできないか。
 英学修行のため長崎にいることになっている兆民は、この辞令によって現状を追認され、藩費を受ける条件が整ったのではないだろうか。
               (土佐史談219号から)


 中江兆民先生誕生地の碑(高知市はりまや町3丁目)。近くの山田橋の南詰めに付近の案内板があるが少々探しづらい。北から2番目の路地。

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