| Home |
2010.11.15
(94)アンコール 志士のスポンサー(2-1)
↓励ましのクリック お願いします↓

今月は坂本龍馬、中岡慎太郎の月です。今さら申すまでもありませんが、この2人は慶応3年(1867年)11月15日の夜、京都河原町通り蛸薬師下ル西、土佐藩邸出入りの醤油商「近江屋」2階で何者かに襲われました。今から143年前のことです。龍馬はその日に絶命、慎太郎も2日後の17日に息を引き取りました。龍馬33歳、慎太郎30歳でありました。谷干城らが懸命になって犯人を探しましたが今もって実行犯は特定されておりません。
今回は彼ら出奔志士たちの活動を支えた「槐堂」という人物の周辺をアーカイブスの袋の中から取り出して見ていただきます。すでにお読みの方には二番煎じとなりますが、修正加筆した部分もありますのでお許し願います。
※ ※ ※
志士のスポンサー淡海槐堂(上)
幕末、国事に奔走する志士たち。国を憂いて東奔西走するには資金がいる。先立つものは「カネ」である。
脱藩…藩の庇護を離れるわけであるから自己資金は不可欠である。衣類は着たきり、夜は野宿するとしても、食だけはどうにもならない。
こんな貧乏志士たちから公卿までの活動を支えたスポンサーの一人に淡海槐堂という人があった。
「おうみ・かいどう」と読みます。いろんな名前を持つ人で、本名は緝(つぐむ)。号が槐堂です。別称として敬天、敬夫、頑山、醒蘇、公朔、重徐、重□(さんずいに余と書いて、じゅうとでしょうか、しげみちでしょうか)。雅号に紅蕉書屋、千秋草堂というのもあります。誤植らしきものも含めて目についたものを記しました。中岡慎太郎(変名・石川清之助)の手紙に「快堂先生」と見えますが、これは昔の人流の当て字でしょう。龍馬を良馬と書いた人がいたように…。
文政5年(1822年)12月朔日、近江の国、今の滋賀県長浜市の医師とも儒者ともいわれる下坂篁斎(下阪甲内と書いた本もあり、検索泣かせです)の第5子として生まれ、3歳で京都の豪商、薬種商を営む武田家の養子に入ります。
安政2年(1855年)公家の一つ醍醐家に仕えて板倉姓をもらい筑前介に任ぜられ、板倉筑前介を名乗ります。
慶応4年(1868年)3月、醍醐家を退いたのを機に姓を生国近江にちなんで淡海と改めて淡海筑前介になり、明治3年からは位記を返上して号を槐堂とし、このときから淡海槐堂を名乗っています。
武田家は武田信玄の子孫で、武田家滅亡後、京都に逃れて奇応丸などの薬を売って巨万の富を築き上げた商人です。「おひや薬」の名で有名だったそうですが、『防長回天史』には「伏見街道桶屋薬トイヘル薬種屋」、子母沢寛の『新撰組始末記』には「五條橋東小児薬おけや薬といふを売れり」とあるそうで、どの名前が正しいのか、また屋号なのか薬品名なのか私には分かりません。
その富、例えば、文久3年のクーデターで敗れた尊王攘夷派の三条実美ら公卿7人が長州へ逃れた、いわゆる7卿落ちに当たり、5回にわたって計2150両を融通していることでその富豪ぶりがうかがわれます。今のお金に直すとどれくらいになりますか、北川村の中岡慎太郎館展示資料を援用しますと7000万円を優に超えます。
この人、文久3年に京都大仏日吉山に「並修館」(へいしゅうかん)という文武館を自費で建てて志士と交わります。
自らは「文」を担当し、「武」は井汲唯一という剣客が当たりました。
坂本龍馬をはじめ武市半平太、中岡慎太郎、吉村虎太郎ら多くの志士が出入りしました。 「文」を担当しただけあって絵も善くし、龍馬と慎太郎が殺された部屋にあった梅に椿の花を配した血染めの掛軸「梅椿図」(ばいちんず)はこの人の描いたものです。先に高知県立歴史民俗資料館で開かれた2010年NHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」で京都国立博物館蔵の実物を見せてもらいましたが、天井から床までの大きなものと思っていた私は、意外に小さいのに驚きさえ覚えました。下部に付着しているという血痕は薄れてはっきりとは見えませんでした。
今回はこれまでとし、次回は土佐の人士とのかかわりを中心に続けます。
参考記事=『土佐史談』6号(大正10年)宮地美彦「贈正五位長岡謙吉(下)」▽67号(昭和14年)松村巖「淡海槐堂」▽170号(昭和60年、坂本龍馬生誕150年記念特集号)西尾秋風「淡海槐堂と土佐稲荷の謎-坂本竜馬暗殺秘帖」
このほかインターネット「好古斎」ホームページ▽大阪龍馬会メールマガジン▽龍馬堂ホームページなどを参考にしました。
↓励ましのクリック お願いします↓

維新の群像10講座
土佐史談会は平成22年度郷土史講座として「維新の群像10講座」を開いています。
講師 テーマ
5月29日 永国淳哉 ジョン万と小龍(了)
6月27日 渡部淳 山内容堂(了)
7月31日 松岡 司 武市半平太(了)
8月27日 宅間一之 吉田東洋(了)
9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士(了)
10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土(了)
11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎
12月10日 今井章博 後藤象二郎
1月29日 谷 是 岩崎弥太郎の生涯
2月25日 公文 豪 板垣退助
場所 高知県立文学館ホール
時間 午後1時30分~3時30分
参加費 無料(参加人数は100名)
葉書かFAXで申し込みください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
土佐史談会
高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内 3階
〒 780-0850
℡ 088-854-5566(FAXと共通)
Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
振替口座 00910-3-75719
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今月は坂本龍馬、中岡慎太郎の月です。今さら申すまでもありませんが、この2人は慶応3年(1867年)11月15日の夜、京都河原町通り蛸薬師下ル西、土佐藩邸出入りの醤油商「近江屋」2階で何者かに襲われました。今から143年前のことです。龍馬はその日に絶命、慎太郎も2日後の17日に息を引き取りました。龍馬33歳、慎太郎30歳でありました。谷干城らが懸命になって犯人を探しましたが今もって実行犯は特定されておりません。
今回は彼ら出奔志士たちの活動を支えた「槐堂」という人物の周辺をアーカイブスの袋の中から取り出して見ていただきます。すでにお読みの方には二番煎じとなりますが、修正加筆した部分もありますのでお許し願います。
※ ※ ※
志士のスポンサー淡海槐堂(上)
幕末、国事に奔走する志士たち。国を憂いて東奔西走するには資金がいる。先立つものは「カネ」である。
脱藩…藩の庇護を離れるわけであるから自己資金は不可欠である。衣類は着たきり、夜は野宿するとしても、食だけはどうにもならない。
こんな貧乏志士たちから公卿までの活動を支えたスポンサーの一人に淡海槐堂という人があった。
「おうみ・かいどう」と読みます。いろんな名前を持つ人で、本名は緝(つぐむ)。号が槐堂です。別称として敬天、敬夫、頑山、醒蘇、公朔、重徐、重□(さんずいに余と書いて、じゅうとでしょうか、しげみちでしょうか)。雅号に紅蕉書屋、千秋草堂というのもあります。誤植らしきものも含めて目についたものを記しました。中岡慎太郎(変名・石川清之助)の手紙に「快堂先生」と見えますが、これは昔の人流の当て字でしょう。龍馬を良馬と書いた人がいたように…。
文政5年(1822年)12月朔日、近江の国、今の滋賀県長浜市の医師とも儒者ともいわれる下坂篁斎(下阪甲内と書いた本もあり、検索泣かせです)の第5子として生まれ、3歳で京都の豪商、薬種商を営む武田家の養子に入ります。
安政2年(1855年)公家の一つ醍醐家に仕えて板倉姓をもらい筑前介に任ぜられ、板倉筑前介を名乗ります。
慶応4年(1868年)3月、醍醐家を退いたのを機に姓を生国近江にちなんで淡海と改めて淡海筑前介になり、明治3年からは位記を返上して号を槐堂とし、このときから淡海槐堂を名乗っています。
武田家は武田信玄の子孫で、武田家滅亡後、京都に逃れて奇応丸などの薬を売って巨万の富を築き上げた商人です。「おひや薬」の名で有名だったそうですが、『防長回天史』には「伏見街道桶屋薬トイヘル薬種屋」、子母沢寛の『新撰組始末記』には「五條橋東小児薬おけや薬といふを売れり」とあるそうで、どの名前が正しいのか、また屋号なのか薬品名なのか私には分かりません。
その富、例えば、文久3年のクーデターで敗れた尊王攘夷派の三条実美ら公卿7人が長州へ逃れた、いわゆる7卿落ちに当たり、5回にわたって計2150両を融通していることでその富豪ぶりがうかがわれます。今のお金に直すとどれくらいになりますか、北川村の中岡慎太郎館展示資料を援用しますと7000万円を優に超えます。
この人、文久3年に京都大仏日吉山に「並修館」(へいしゅうかん)という文武館を自費で建てて志士と交わります。
自らは「文」を担当し、「武」は井汲唯一という剣客が当たりました。
坂本龍馬をはじめ武市半平太、中岡慎太郎、吉村虎太郎ら多くの志士が出入りしました。 「文」を担当しただけあって絵も善くし、龍馬と慎太郎が殺された部屋にあった梅に椿の花を配した血染めの掛軸「梅椿図」(ばいちんず)はこの人の描いたものです。先に高知県立歴史民俗資料館で開かれた2010年NHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」で京都国立博物館蔵の実物を見せてもらいましたが、天井から床までの大きなものと思っていた私は、意外に小さいのに驚きさえ覚えました。下部に付着しているという血痕は薄れてはっきりとは見えませんでした。
今回はこれまでとし、次回は土佐の人士とのかかわりを中心に続けます。
参考記事=『土佐史談』6号(大正10年)宮地美彦「贈正五位長岡謙吉(下)」▽67号(昭和14年)松村巖「淡海槐堂」▽170号(昭和60年、坂本龍馬生誕150年記念特集号)西尾秋風「淡海槐堂と土佐稲荷の謎-坂本竜馬暗殺秘帖」
このほかインターネット「好古斎」ホームページ▽大阪龍馬会メールマガジン▽龍馬堂ホームページなどを参考にしました。
↓励ましのクリック お願いします↓

維新の群像10講座
土佐史談会は平成22年度郷土史講座として「維新の群像10講座」を開いています。
講師 テーマ
5月29日 永国淳哉 ジョン万と小龍(了)
6月27日 渡部淳 山内容堂(了)
7月31日 松岡 司 武市半平太(了)
8月27日 宅間一之 吉田東洋(了)
9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士(了)
10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土(了)
11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎
12月10日 今井章博 後藤象二郎
1月29日 谷 是 岩崎弥太郎の生涯
2月25日 公文 豪 板垣退助
場所 高知県立文学館ホール
時間 午後1時30分~3時30分
参加費 無料(参加人数は100名)
葉書かFAXで申し込みください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
土佐史談会
高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内 3階
〒 780-0850
℡ 088-854-5566(FAXと共通)
Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
振替口座 00910-3-75719
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スポンサーサイト
| Home |