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   松丞は渡辺一寸

 20日の高知新聞「龍馬三昧」欄に坂本龍馬記念館の三浦夏樹主任学芸員が「松丞探索報告書 ワクワクする冒険記」という記事を発表しています。
 内容はこの松丞が幕末奈良県の十津川と長州に潜入探索した時の報告書で、当時の探索の仕方が分かる貴重な資料と言っています。
 松丞という人物については、足軽で「普段は京都の土佐藩邸で稽古所の取り締まりを担当しており、何か情報があれば探索を命じられて潜入捜査を行う」としかありません。
 この松丞は本ブログ2月11日付の手裏剣の名手・渡辺松之丞、またの名・渡辺一寸と同一人物と思われます。珍しい名前ですし特異な武芸の持ち主でもありますので再紹介します。新聞記事と合わせて読んでいただければ別の興味も湧くかも知れません。
     ※          ※          ※
 幕末の土佐藩に手裏剣の名手がいました。渡辺松之丞、またの名を「一寸」といいます。変わった名前ですが、なんと読むのでしょう。
 郷土史家の寺石正路さんが大正12年に出版した『續土佐偉人傳』にこの人のことを簡単に書いてありますが、「かつちか」と振り仮名を振ってあります。
 どれくらいの名手であったか。寺石さんはこんな具合に書いてあります。
「凡そ手裏剣の法、三間又二間半位の距離に於て鉄剱を擲て敵を撃つを目的とす。松之丞其技に練熟し百発百中少しも誤らず、或は三間の距離を隔てて一文銭を吊り其穴を撃つに一度も誤らず、一間の厚板も三本の手裏剣を以て見事に打割ることを得しといふ。然して鳥獣の類にては一度狙へば其命中誤るなく…」
 少々オーバーな表現にも思えますが、昔の武芸の達人の達人ぶりには往々見かける表現です。
 松之丞は父清之丞(格式組外=くみがい=足軽)の二男として土佐郡久萬村(高知市久万)に生まれました。兄弟は4人。誕生日は分かりませんが、明治21年(1888年)6月27日、54歳で亡くなっていますので、逆算しますと天保6年(1835年)に生まれたことになります。
 隣村の野村という人に砲術を学んで新規足軽に召し出され、秦泉寺村に一家を構えます。江戸詰を命じられ、3年の勤務を2期に延ばしてもらって手裏剣を習います。格式も歩行となりました。
 手裏剣には上遠野流、白井流、根岸流、知新流などいろいろありますが、松之丞が習った流派は分かりません。
 抜群の武芸ということで15代藩主容堂老公の目にとまり、常に君側駕籠脇について警護にあたりました。京洛への上り下りには腰の袋に数本の手裏剣を入れガードマンを勤めます。幕末騒擾の京都の町では夜々辻斬りが出没したそうですが、松之丞は得意の手裏剣を打って敵を斃したということです。
 慶応元年5月、藩命を以って西国探索方となり長州に赴きます。この年は幕府の第2次長州征討を控えて緊張が高まっており、坂本龍馬の奔走によって長州藩と薩摩藩の間にひそかに同盟の話が進められていました。幕府をはじめ諸藩からぞくぞく間諜が送り込まれていたということです。
 松之丞について『續土佐偉人傳』は「一日酒楼に痛飲中捕手に包囲せられ殆ど危からんとす。既にして得意の手裏剣を以て敵を斃し漸く一条の血路を開き九州に落ち、遂に海路高知に帰国す」と書いてあります。当直隊士の手に成る『奇兵隊日記』にも土佐間諜渡辺松之丞の名前が出てきます。
 この功によって松之丞は初めて渡辺の苗字を公称することを許されました。
 「人となり奇偉にして異行多し。平素酒を嗜み、能く一升を傾けて乱れず。また奇食を好み、蛙蛇を食うて辞せず。」(前掲『續土佐偉人傳』)。
 晩年、一寸と名乗り、子に「五分(ゆきお)」という名をつけました。父が一寸だから子は半分でいいという理屈です。
 この五分は成長して千春と称し、絵をよくしたということです。
 お墓への道案内をしましょう。
 高知市宇津野、高知自動車道の橋脚をくぐって山手にとりついた所に名切川一の谷渓谷遊歩道の出発点があります。ここまでは車で行けます。駐車スペースもあります。谷川沿いに登り、轟の滝横の木製桟道を過ぎ、次の丸太を敷き詰めた木橋を渡った所の左手の山に高知市教育委員会と地元グループの建てた案内板があります。やっとたどり着いたという感じの距離です。ここから案内図に従って行けばいいのですが、この地図がくせものです。たいていの人は矢印の方向を今まで辿ってきた遊歩道の延長と考え、むだ足を踏むことになります。辿って来た道を矢印の方向に進むのでなくて案内板のすぐ後ろの小道を矢印の方向に進むのです。小道といっても道には見えません、山肌を這いながら登るのです。お墓は椿の木の下にあります。山本泰三氏の『土佐の墓』の写真はきれいですが、今はつる草が這い上がって文字も読みづらくなっています。
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 林の中に立つ墓碑。この写真では分かりませんが「渡邊一寸夫婦之墓」と刻まれています。右側は椿の幹。この碑が建てられた大正8年にはこの木はなかったと思われます。あれば切るか、もう少し離して建てるはずです。椿は遅々とはしていても着実に年輪を重ねます。100年先はどうなっているでしょうか。
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 墓への途中にある轟の滝。ここで轟神社(高知市三園町)の秋祭りに輿洗いの神事が行われます。氏子たちに担がれた神輿は川沿いの遊歩道ではなく名切川の渓流を駆け登って滝壷に跳び込み、身を清めます。

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     維新の群像10講座
土佐史談会は平成22年度郷土史講座として「維新の群像10講座」を開いています。
          講師   テーマ
  5月29日 永国淳哉 ジョン万と小龍(了)
  6月27日 渡部淳  山内容堂(了)
  7月31日 松岡 司 武市半平太(了)
  8月27日 宅間一之 吉田東洋(了)
  9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士(了)
 10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土
 11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎
 12月10日 今井章博 後藤象二郎
  1月29日 谷  是 岩崎弥太郎の生涯
  2月25日 公文 豪 板垣退助
 場所 高知県立文学館ホール
 時間 午後1時30分~3時30分
 参加費 無料(参加人数は100名)
  葉書かFAXで申し込みください。

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          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内 3階
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566(FAXと共通)
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
          振替口座 00910-3-75719
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 龍馬像に遅れること7年



 高知市桂浜の坂本龍馬銅像誕生の物語は広く知られていますが、室戸岬に立つ中岡慎太郎銅像(写真)のそれはあまり伝えられていません。維新を前に倒れた両雄の偉業に落差はありませんが、銅像の実現には実に7年の時が流れています。
 土佐史談170号(昭和60年、坂本龍馬生誕150年記念特集号)に室戸市羽根町の山本武雄さんが「中岡慎太郎の銅像が出来るまで」を書いています。それと当時の新聞に基づいて同銅像建設史をまとめてみましょう。
 「贈正四位中岡慎太郎」銅像(題字田中光顕)は昭和10年4月7日に除幕式が行われました。当日の模様を伝える高知新聞(5月7日付)記事の書き出しは次の通りです。
 「荒浪吼ゆるてふ室戸岬頭に建てられた幕末勤王の志士、元の陸援隊長中岡慎太郎先生の銅像除幕式は、五月晴れの7日、滞りなく執行されて岬頭に一偉観を添へた。この日は浪もなく極めて和やかな天候で芸東一帯は喜びの坩堝と化した。」
 慎太郎銅像については龍馬銅像建設の話し合いの中で同時着工論が退けられた経緯があったのでしょうか、山本さんは「北川村の青年団長川口清晴は慎太郎像を安芸郡下の青年の手で絶対に建てようと決意した。龍馬像と同時建設を主張して容れられなかった安芸郡青年の心意気である」と書いています。
 川口青年はまず安芸郡連合青年団長高松清男に協力を要請し、同連合青年団は昭和4年4月(龍馬像除幕の翌年)自分たちだけで建設することを議決しました。そして地元(安芸郡奈半利町)出身の“土佐の交通王”野村茂久馬に会長就任を懇請、快諾を得ました。茂久馬は龍馬像の時も建設会長を務めています。
 高松連合青年団長は間もなく亡くなりましたが、後任には津呂村(室戸市室戸岬町)の山田周作が就任、銅像建設会副会長も兼ねて川口青年団長と力を合わせて募金活動に全力を挙げます。
 募金目標は2万5000円。内訳は安芸郡連合青年団1万円(24町村青年団に割り当て)◇県外有志寄付金1万円◇県内各市町村青年団5000円。
 資金集めはたやすくはありませんでした。龍馬像に2万円を拠出した直後の県下青年団でしたし、郡全体の関心は鉄道後免・安芸線の建設に集まっていました。1929年(昭和4年)に始まった世界大恐慌による経済不況、浜口雄幸首相狙撃事件に象徴される不穏な政情に加えて室戸台風(昭和9年=1934年)の被害もあり、銅像建設の趣旨には賛同しても実際にお金を出すとなるとなかなか腰の上がらない雰囲気でした。
 もろもろの困難を乗り越えて青年たちは行脚を続け、初志を貫徹します。集めたお金は2万5657円。うち県外寄付金は海軍中将坂本一を東京後援会長とし、県出身33名が1人300円、岩崎小弥太は400円を寄せたということです。
 (小弥太は岩崎弥太郎の弟弥之助の長男で、弥太郎の長男久弥の後を継いで大正5年三菱財閥の4代目社長となりました。昭和20年まで在任)
 銅像は桂浜の龍馬像と同じ本山白雲が製作に当たりました。
 昭和10年(1935年)3月27日、横浜港で土佐商船の第3米丸に積み込み、4月1日午後3時室戸港に到着、港改修工事に従事していた起重機船で陸揚げ、2台連結の大型荷車に載せて途中綱引き用の綱で引き、室戸岬の現場に運びました。
 慎太郎像は身長5㍍30㌢で桂浜の龍馬像と同じ。製作者の白雲は来町して据え付け作業を指揮、4日午後4時には台座とも13㍍50㌢の像を白布で覆い、除幕式の準備を整えました。
 除幕式には中岡家の遺族として姪に当たる中岡子未亡人(64歳)が東京から来町して除幕しました。陸援隊副隊長でただ1人の生存者田中光顕も出席の予定でしたが病気のため来ることが出来ず、祝電での参加となりました。新聞記事によりますと、当日は「隣接各町村はもとより遠く高知方面より来遊するもの夥しく、室戸岬頭は実に近年にない人出であった」とあります。多くの出席者のなかに山地土佐太郎、寺石正路や陸軍の宮地中将、大川少将、森下少将の名もみえます。
 この中岡慎太郎銅像は戦時中の金属類回収令による回収を免れ今に至っていますが、このことについては5月21日付本欄(80)「坂本龍馬銅像は残った」を参照してください。
 なお山本武雄さんのこの記事は次のように結ばれています。
 「近江屋の現場に駆け付け傷の手当てを行った川村盈進は『土佐一覧記』を著わした室戸の郷士川村与惣太の孫である。夫人勝(兼)は室戸の浮津村領家村庄屋利岡馬之助の妹で賢夫人の誉れ高く、慎太郎の姉の子照行を養子に迎え弁護士に大成さした。」
 慎太郎銅像とは直接の関係はありませんが、この機会にぜひ知ってもらいたいという思いのこもった追伸のように感じます。
 (川村与惣太貞佳=かわむら・よそうた・さだよし=は1720~1784年の人。与三太とも。『土佐一覧記』は土佐各地を巡って地誌や故事を記すとともに、それらの地名にちなんだ自作の歌を収載した風土記的歌集。川村えいしんは土佐藩の医師で、坂本龍馬の家の裏通り水通町に屋敷があり、龍馬の手紙にも登場します。近江屋事件の時は京都の藩邸におり、田中光顕に呼ばれて、まだ息のあった中岡慎太郎の手当てをしたことで知られていますが、山本さんはその他のことも言いたかったのでしょう)
 山本さんの記事を離れて一言。龍馬・慎太郎が殺された近江屋の部屋に掛かっていた掛け軸「梅椿図」、先ごろ高知県立歴史民俗資料館で開かれていた「龍馬伝」展で実物を見せてもらいました。第一印象は「あれ、こんなに小さかったのか」でした。この絵を描いて龍馬にプレゼントした淡海槐堂(板倉槐堂)については本ブログ5月1日と11日付に「志士のスポンサー」と題して紹介してありますので読んでください。

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 場所 高知県立文学館ホール
 時間 午後1時30分~3時30分
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 土佐史談244号が出来上がりました。まず目次から。(ページの数字は記事量)
 ◇長宗我部氏の名字と居住地について…朝倉慶景(6ページ)
 ◇一条摂関家と遣明船(その1)…池内敏彰(19ページ)
 ◇キリシタン史料から見た四万十川(わたりがわ)合戦と一条兼定…東近伸(15ページ)
 ◇御船大工棟梁岡氏の家系と技能継承…岡義秀(14ページ)
 ◇度会姓と桧垣氏一族…山本武雄(21ページ)
 ◇奥宮健之と移民問題…間宮國夫(15ページ)
 論文は以上6編ですが、朝倉氏の論考は素人には取っつきにくい中世ものにかかわらず面白い。
 龍馬ブームのあとはきっと長宗我部元親。本当に四国を制圧していたのか、本当にお寺を焼きまくったのか。やかましくなると思いますよ。
 それはともかくとして、人物の一番基本的なこと、名前と住所を考察したのが朝倉先生の論文。
 長宗我部氏の本姓は秦氏といわれますが、何に基づいて長宗我部を名乗ることになったのか、また古くから長岡郡岡豊に居たのか、これらの疑問点に考察を加えています。
 長宗我部という漢字のうち「宗」の部分について「宗」と「曽」2通りの古文書があるそうです。足利高氏御教書や細川勝元書状案は「長宗我部」ですが、羽柴筑前守秀吉(豊臣秀吉)書状は「長曽我部」だそうです。元親自身は「宗」を使っていますし、姓の起源とされる地名は「宗部郷」だそうですから、これで決まりでしょう。
 この論文は読み方については触れていませんが、県立歴史民俗資料館の展示をよくよく目をこらして見ましたら「ちょうそかべ」となっていました。ところが前々々回にも書きましたが長宗我部元親の弟・親房から数えて17代目の子孫・友親さん(68)が最近出版した著書には「ちょうそがべ」と振り仮名をしてあります。清音と濁音、人それぞれの主張があるようです 
 ちなみにわが「デジタル史談」ではどうなっているんでしょうか。
   長宗我部 2902件 長宗我部元親 824件
   長曽我部  212件 長曽我部元親  47件
   長曾我部  220件 長曾我部元親  71件
 以上、検索お遊びの結果でした。
     …………………………………
 土佐史談会の催しもののお知らせ。
■南国出前講座(無料、申し込み不要)
 9月5日(日)午後1時30分~4時30分
 南国市立大篠公民館ホール(大篠小学校南側、駐車場あります)
 1部 石造物群調査について-赤岡町与楽寺を例として-
  講師 浜田眞尚氏(南国市文化財保護審議委員)
 2部 紀貫之と土佐日記
  講師 藤本眞事氏(南国史談会会長)
■西部方面歴史散歩(無料、お弁当持参、大型バスで行きます)
 9月12日(日)午前9時高知城北口集合 土佐市街・宇佐・春野・長浜
  講師 宅間一之氏(高知県立歴史民俗資料館館長)
  定員 先着30人(葉書・ファクスのみ受け付け。住所・氏名・電話番号明記)
■萩・津和野方面(山口県)史跡めぐり
 10月22日(金)~23日(土)
  午前6時30分高知城北口出発→(錦帯橋)→岩国で昼食→松陰神社→萩城下町→ホテル泊(萩観光ホテル)
  午前8時ホテル出発→萩城下町エリア→津和野→昼食→森鴎外記念館・西周旧居・藩校養老館・津和野郷土館等→高知帰着(午後8時30分予定)
 参加費用=会員28,000円 会員外32,000円(ホテル・シングル希望の方は5,250円の追加料金が必要です)
講師 高橋正(土佐史談会会長)谷是(同副会長)

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  8月27日 宅間一之 吉田東洋(了)
  9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士
 10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土
 11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎
 12月10日 今井章博 後藤象二郎
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 場所 高知県立文学館ホール
 時間 午後1時30分~3時30分
 参加費 無料(参加人数は100名)
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