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   助や輔の字は駄目でした。

 明治維新の改革によって国民は皆、公的に苗字を持つことになりました。
 法的には明治3年(1870年)9月19日に平民苗字許可令、同8年2月13日に平民苗字必称義務令が発せられています。
 その際、戸惑った庶民のなかには庄屋や神主に頼んで適当な苗字を付けてもらったり、適当な苗字を思い浮かばず困った庄屋が野菜や魚の名を付けたりしたという話を聞いたことがあります。甲子園の高校野球の選手にも珍しい姓の方がいらっしゃいますね。
 それはともかくとして明治2年…元年は9月から始まっていますから維新間もなく諸事一新は始まりました。維新とは「これあらた」という意味だそうです。
 江戸時代から明治時代への政権交代は「革命」ではなく「革名」であったと言えないでしょうか。新政府から各藩に国名や官名のついた名や称号を改めるよう通達があったようです。
 土佐史談153号(昭和55年)に中村市の橋田庫欣さんが「明治初年の革姓と革名」という論考を書いています(16~21ページ)。宿毛の伊賀家日記明治2年の巻をもとに高知藩内の動きを記したもので、私には新知識であります。勉強がてらそっくり引用さしてもらいます。
 明治2年10月22日、宿毛の伊賀邸に大参事の深尾弘人から出された革姓革名の通達が届きます。続いて次々と個々人の改められた名前を知らせて来ます。
 ◇深尾丹波(軍務局主務)→深尾丹吉郎(丹波が国名であるため革名)
 ◇山内下総(民政局主務)→酒井勝助(特別に許されていた山内姓を本姓に戻すと同時に国名である下総を改める)。この人の名は8月19日付高知新聞22面「龍馬伝」展解説「平井収二郎爪書辞世」に保守派の中心人物として出ています。桐間蔵人の名もありますが、この人の革姓革名については伊賀家日記にないのか、この記事は触れていません。桐間を本姓の加賀野井に戻しているはずです。
 ◇五藤内蔵助(参政)→五藤如山(内蔵助が内蔵寮の次官の官名)
 ◇深尾帯刀(会計司主務)→深尾真澄(帯刀は官名)
 ◇山内隼人→深尾庄三郎(本姓に戻す。隼人は宮内を守る役人の官名)
 ◇福岡宮内(刑法司主務)→福岡九内(宮内は太政官制の宮内省の省名)
 ◇福岡縫殿(ぬい)→福岡守人(縫殿は縫殿寮の役所名)
 ◇桐間将監→桐間卓護(将監は近衛府の判官の官名)
 ◇桐間木工→桐間彦魚(木工は木工寮の名)。この記事は革姓には触れていませんが、加賀野井という本姓に復しています。加賀野井彦魚の長男が教育者であり洋画家の加賀野井久寿彦、その四男が剣道範士・加賀野井卓(たかし)。
 ◇山内昇之助→深尾昇(本姓に戻すと同時に助が寮の次官の官名であるため)
 ◇深尾刑部→深尾市郎(刑部は刑部省の名)
 ◇深尾主計→深尾栄吉(主計は会計官の官名)
 ◇山内主馬→伊賀藤太(本姓に戻す。主馬は主馬寮の名)
 ◇山内太郎左衛門→伊賀安道(本姓に戻す。左衛門は左衛門府の役所名。翌年再び陽太郎と革名)
 ◇柴田備後→柴田備(そなえ)(備後が国名であるため)
 このように藩の有力者が次々と革姓革名する中、11月24日次のような通達が発せられました。丞など12文字は各官庁の次官や判官の官名であるので該当する面々は改めるようにとの命令です。その12文字は、
 丞 允 進 掾 祐 助 輔 介 佐 亮 佑 尉
 このため前掲酒井勝助は助の字があるため再び革名して勝作としています。
 山内家一族の革名も載っています。
 ◇山内秀馬(容堂の弟)→山内退作(国名や官名のための革名なら届けだけでよかったようですが、この場合はそうではないため願い出て許されています)
 ◇山内整之助(容堂の従弟)→山内整(ひとし)(助の字が該当)
 ◇山内兵之助(容堂の弟)→山内采真(同上)
 ◇山内銀之助(容堂のふた従弟)→山内銀得(ぎんえ)(同上)
この通達は翌3年6月には一部例外が認められています。
 これらの経過を踏まえ筆者の橋田庫欣さんは板垣退助について検証しています。
 板垣は明治2年10月25日に権大参事となっていますが、それまでは退助として伊賀日記に出ています。しかし11月29日、12月7日、8日、10日、22日の伊賀日記の記事はすべて板垣無形になっているそうです。高知県史近代史料編の明治4年官員履歴では退助に戻っており、そのほかにも助、輔、丞、祐などの字が使われている者がかなりいます。板垣退助の号は無形として広く知られていますが、ある時期には助の字ゆえの革名で無形を名としていたのではないかと推測しています。
 この革姓革名の動きは藩上層部の人たちばかりでなく一般庶民にまで及びました。有名な大江卓一族は父弘の代まで斎原を名乗っていましたが、明治3年末に大江と革姓しています。宇須々木の今岡郷助は河野八郎に、芳奈の宮部加賀は宮部覚に改めるなど6つの例が挙げられています。

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     維新の群像10講座
土佐史談会は平成22年度郷土史講座として「維新の群像10講座」を開いています。
          講師   テーマ
  5月29日 永国淳哉 ジョン万と小龍(了)
  6月27日 渡部淳  山内容堂(了)
  7月31日 松岡 司 武市半平太(了)
  8月27日 宅間一之 吉田東洋
  9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士
 10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土
 11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎
 12月10日 今井章博 後藤象二郎
  1月29日 谷  是 岩崎弥太郎の生涯
  2月25日 公文 豪 板垣退助
 場所 高知県立文学館ホール
 時間 午後1時30分~3時30分
 参加費 無料(参加人数は100名)
  葉書かFAXで申し込みください。

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          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内 3階
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566(FAXと共通)
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
          振替口座 00910-3-75719
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 懐中時計や懐中電灯ならどんなものか、すぐ想像できますが、懐中蝋燭(ローソク)というものがあるとすれば、どんな形をしていて、どんな使われ方をするのか思い浮かびますか。
 そもそも「懐中」というのは、和装なら着物のたもと、洋服ならポケットのうちのことで、ふところの中に入れること、携帯すること、と広辞苑にあります。
 その広辞苑にはさまざまの「懐中…」が載っていますが懐中蝋燭はありません。
 懐中鏡、懐中笠、懐中合羽、懐中硯(すずり)、懐中日記などなど。
 懐中汁粉というのもあります。乾餡をモナカ生地で包んだもの。湯を注いでかき回すと汁粉となる。携帯できるからいう、とあります。
 さて、その懐中蝋燭。
 土佐史談には2度これについての記事があります。10号(史壇、大正13年)の丹紫海漁郎「土佐の懐中蝋燭」と43号(昭和8年)の建山生(武市佐市郎)「閑窓漫録」。
     File0049懐中蝋燭
 写真は43号に載っている「懐中蝋燭」と銘打たれたもので、中央の渦巻き状は直径7㌢位、ローソクの長さは75㌢ほどあるそうです。広告入りの紙袋に包まれ、中に硫黄のついた付け木が添えられています。
 製造元は高知八百屋町・種屋太蔵とあり 寛延3年(1750年)には商品として販売されています。10号の記事によりますと、この懐中蝋燭、山内家のご用を務めると同時に、武家町家の区別なく各方面の需要を満たし、ずいぶん便利な明かりとして喝采を博したとあります。
 効能書もあって(私には分からない部分もありますが)「山海往来の節、蝋燭松明(たいまつ)におよわず(?)、又は御旅にて夜に入り御月代(さかやき)之外御用に遊ばされ候節、戸障子或は柱など鳥渡(ちょっと)御押付被遊候得ハ、はづし申迄は放れ申事無御座候」とあります。
 おぼろげながら使い方が想像できますが、別の文章も紹介しておきます。「座中に枕火(まくらび)消えたる時、少しの炭火にて点火でき、また月代など遊ばすには、柱などにちょっと押し付ければ、はずすまでは離れず、燭台も必要なく、まことに重宝」(考古学雑誌第23巻第3号から)。
 火をつけたまま戸障子にひっつけることが出来るのでしょうか、また短時間であっても火の用心が心配されますが、明治時代まであったようです。日露戦争のとき出征兵士慰問用に高知市蓮池町の宝屋・渡邊安治が製造した記録があります。「懐中」というより「簡易携帯」という方が分かりやすい「懐中蝋燭」であります。
 10号の記事によりますと、東京の博物館は藩政時代の土佐の特色ある古燈器として陳列してあったそうです。しかし関東大震災で焼けてしまったので再び陳列したいと県に提供を求めてきたと書いてあります。東京でも珍しがられていたことが分かります。


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 NHK大河ドラマ「龍馬伝」や観光イベント「土佐・龍馬であい博」のおかげで「りょうま」「りょうまさん」が氾濫しています。もう「りゅうま」「りゅうまさん」という人はありますまい。
 この呼び名、本人が「りよふ」と書いていること(慶応3年、長崎から姪の春猪に出した手紙)や、当時の志士達が「りょうま」と呼び合っていたことをうかがわせる当て字(伊藤博文や岩崎弥太郎、土佐藩重役の寺村左膳は「良馬」と書いている)が用いられていることなどから証明されるのですが、昭和9年、「りゅうま」と振り仮名のついた文部省検定済みの教科書が現われ、ひと騒動持ち上がったことがあります。(2008年11月4日「龍馬はなんと読む」参照)
 土佐史談会の抗議もあって、その後、教科書も「りょうま」と改められましたが、漢字は龍馬と竜馬が共存しているということです。
 それにしても固有名詞、ことに人名はむずかしい。
 同じ大河ドラマ、2006年の「功名が辻」でも山内一豊をどう読むかが問題になりました。地元土佐では「かつとよ」で通っています(高知新聞社発行の『高知県人名事典』は「かつとよ」を見出し語に使っています)が、ドラマでは「かずとよ」でした。姓も土佐では「やまうち」ですが、NHKテレビのアニメ作品、武田鉄矢原作の「おーい!竜馬」では「やまのうち」、神奈川県の山内家は「やまのうち」だそうです。
 地元高知では「やまうち・かつとよ」と呼ばれる「やまのうち・かずとよ」(東京のアナウンサー)には北方様と呼ばれる通という姉がいました。美濃(岐阜県)北方(きたがた)の豪族に嫁いでいましたが、戦に敗れたため一豊を頼って土佐に来て子息の領地宿毛で亡くなりました。お墓のある妙栄寺には直筆の署名があるそうですが「通」は「つう」ではなく「づう」とあるそうです(土佐史談152号「宿毛妙栄寺の宝物」橋田庫欣)。
 少し脱線。共同通信に山内○○という記者がいます。この3月だったでしょうか高知新聞の「南風」という欄に署名入りで記事が載りました。この人はどう読むのか興味がありましたので、記事の切り抜きに返信用の葉書を添えて問い合わせの手紙を出しました。まだ返事をいただいておりませんが私が勝手に出した手紙ですので文句は言えません。同じ通信社の役員さんに山内豊彦さんという方がいますが、この方は「やまのうち」と名乗っていらっしゃいます。
 家畜の伝染病口蹄疫に見舞われた宮崎県、拡大防止のため犠牲となる元気な動物たちを殺処分しなければならなかった農家の人たちの無念さを思うと胸が痛みます。この病気について5月23日の高知新聞にウイルス学が専門の東大名誉教授山内一也氏の談話が載っていました。「やまのうち・かずや」と振り仮名してありました。横浜市出身だそうです。
 全国的には「やまのうち」優勢かなと思い始めた矢先、愛媛県で「やまうち」という例に出合いました。7月9日夜のNHKテレビが新居浜市でアームレスリング道場を開く男性の活動を紹介していました。60歳になるその男性の名は山内豊徳さん。やまうち・とよのりと呼ばれていました。
 別役実という劇作家がいます。本来「べっちゃく・みのる」ですが、だれも読んでくれないのでペンネームや通称には「べつやく」を使っていると、本人が何かに書いてあるのを読んだ記憶があります。
 高知県香南市には別役という集落があり、呼び名は「べっちゃく」です。4月30日の高知新聞にこの市の教育長に別役朋之氏が選ばれたという記事が載っています。「べっちゃく・ともゆき」と振り仮名を振ってあります。
 NHKテレビ夜のニュースでスポーツを担当しているアナウンサーに「一柳」という女性がいます。「いちやなぎ」さんと呼ばれていますが、所変われば呼び名も変わるで、高知県では「いちりゅう」です。私の旧制中学校の同級生にいちりゅうくんが居ました。有名なお菓子屋さんの息子でした。
 龍馬さんの先祖ゆかりの地は南国市才谷ですが、地元の人は「さいたに」ではなく「さいだに」と濁って呼んでいます。
 濁るか濁らないか、これはいろいろあります。山崎=やまさきorやまざき、長宗我部=ちょうそかべorちょうそがべ。京都・祇園祭の山鉾の読み方も「やまほこ」と「やまぼこ」清濁2通りの読み方が混在してきたそうですが、ユネスコの無形文化遺産には昨年9月「YAMAHOKO」と登録されたそうです。この行事の開幕を伝える高知新聞(7月17日付)は「やまほこ」となっていますが、山鉾巡行の先頭を進む長刀鉾には「なぎなたぼこ」と振り仮名を振ってあります。
 長宗我部については長宗我部元親の弟・親房から数えて17代目の子孫・友親さん(68)が最近出版した著書に「ちょうそがべ」と振り仮名をしてあります。しかしインターネットのフリー百科事典ウィキペディアでは「ちょうそかべ」と清音です。なら「ちょうそかべ」と打ち込んで漢字変換を求めるとどうなるか。変換してくれません。濁音ですと「長宗我部」と漢字になりました。複雑です。(ただ特別に単語登録すれば別であります)
 土佐史談53号(昭和10年)に「たこ生」と名乗る匿名の人が、名前の読み方と題する一文を寄せています。引用さしてもらいます。
 藩政後期の名奉行馬詰親音、親は元親のチカで、チカネと読みたいところですが、同氏の日記に「明和8年11月12日親友(モトトモ)を親音に革」と自書してあり、親音に「モトネ」と振り仮名を付けてあるそうです。
 読み方はこれで決まりですが、平凡社の百科大事典には名はモトネと正しく読ましてありますが、姓をマズメとしてあります。土佐ではウマヅメと読むのが普通で、山内家の御役人帳にもウの部に収められています。(高知新聞社の『高知県人名事典』は正しく「うまずめもとね」となっています)。
 この人物については2009年3月13日の「土佐の高知の事始め」に書いてありますので興味のある方は月別アーカイブ2009/03をクリックして読んでください。土佐第1号の貸し本屋と「もみぬき井戸」の話が、ご覧いただけます。
 最後に現代に戻って、奇兵隊内閣を率いる菅直人首相の言葉。
 菅首相は組閣後の記者会見(6月8日夜)で「政治の役割は国民、世界の人々が不幸になる要素を少なくしていく最小不幸の社会をつくることにある」と発言しましたが、この最小不幸の社会は「最少不幸の社会」と書くのが正解ではないか。いずれにしても不幸は無くならないわけで、現実的であるといえばそれまでだが、政治が目指す志としては小さい小さい。
 参院選惨敗もあってか、その後この言葉にはお目にかかりませんが、いくら頭に「最小・最少」とついていても不幸社会では明るさが感じられません。


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