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          手裏剣で容堂公をガードした渡辺一寸
                                 
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 幕末の土佐藩に手裏剣の名手がいました。渡辺松之丞、またの名を「一寸」といいます。変わった名前ですが、なんと読むのでしょう。
 郷土史家の寺石正路さんが大正12年に出版した『續土佐偉人傳』にこの人のことを簡単に書いてありますが、「かつちか」と振り仮名を振ってあります。
 どれくらいの名手であったか。寺石さんはこんな具合に書いてあります。
「凡そ手裏剣の法、三間又二間半位の距離に於て鉄剱を擲て敵を撃つを目的とす。松之丞其技に練熟し百発百中少しも誤らず、或は三間の距離を隔てて一文銭を吊り其穴を撃つに一度も誤らず、一間の厚板も三本の手裏剣を以て見事に打割ることを得しといふ。然して鳥獣の類にては一度狙へば其命中誤るなく…」
 少々オーバーな表現にも思えますが、昔の武芸の達人の達人ぶりには往々見かける表現です。
 松之丞は父清之丞(格式組外=くみがい=足軽)の二男として土佐郡久萬村(高知市久万)に生まれました。兄弟は4人。誕生日は分かりませんが、明治21年(1888年)6月27日、54歳で亡くなっていますので、逆算しますと天保6年(1835年)に生まれたことになります。
 隣村の野村という人に砲術を学んで新規足軽に召し出され、秦泉寺村に一家を構えます。江戸詰を命じられ、3年の勤務を2期に延ばしてもらって手裏剣を習います。格式も歩行となりました。
 手裏剣には上遠野流、白井流、根岸流、知新流などいろいろありますが、松之丞が習った流派は分かりません。
 抜群の武芸ということで15代藩主容堂老公の目にとまり、常に君側駕籠脇について警護にあたりました。京洛への上り下りには腰の袋に数本の手裏剣を入れガードマンを勤めます。維新騒擾の京都の町では夜々辻斬りが出没したそうですが、松之丞は得意の手裏剣を打って敵を斃したということです。
 慶応元年5月、藩命を以って西国探索方となり長州に赴きます。この年は幕府の第2次長州征討を控えて緊張が高まっており、坂本龍馬の奔走によって長州藩と薩摩藩の間にひそかに同盟の話が進められていました。幕府をはじめ諸藩からぞくぞく間諜が送り込まれていたということです。
 松之丞について『續土佐偉人傳』は「一日酒楼に痛飲中捕手に包囲せられ殆ど危からんとす。既にして得意の手裏剣を以て敵を斃し漸く一条の血路を開き九州に落ち、遂に海路高知に帰国す」と書いてあります。当直隊士の手に成る『奇兵隊日記』にも土佐間諜渡辺松之丞の名前が出てきます。
 この功によって松之丞は初めて渡辺の苗字を公称することを許されました。
 「人となり奇偉にして異行多し。平素酒を嗜み、能く一升を傾けて乱れず。また奇食を好み、蛙蛇を食うて辞せず。」(前掲『續土佐偉人傳』)。
 晩年、一寸と名乗り、子に「五分(ゆきお)」という名をつけました。父が一寸だから子は半分でいいという理屈です。
 この五分は成長して千春と称し、絵をよくしたということです。
 お墓への道案内をしましょう。
 高知市宇津野、高知自動車道の橋脚をくぐって山手にとりついた所に名切川一の谷渓谷遊歩道の出発点があります。ここまでは車で行けます。駐車スペースもあります。谷川沿いに登り、轟の滝横の木製桟道を過ぎ、次の丸太を敷き詰めた木橋を渡った所の左手の山に高知市教育委員会と地元グループの建てた案内板があります。やっとたどり着いたという感じの距離です。ここから案内図に従って行けばいいのですが、この地図がくせものです。たいていの人は矢印の方向を今まで辿ってきた遊歩道の延長と考え、元に戻ってむだ足を踏むことになります。そうではなくて案内板のすぐ後ろの小道を矢印の方向に進むのです。小道といっても道には見えません、山肌を這いながら登るのです。お墓は椿の木の下にあります。山本泰三氏の『土佐の墓』の写真はきれいですが、今はつる草が這い上がって文字も読みづらくなっています。


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林の中に立つ墓碑。この写真では分かりませんが「渡邊一寸夫婦之墓」と刻まれています。右側は椿の幹。この碑が建てられた大正8年にはこの木はなかったと思われます。あれば切るか、もう少し離して建てるはずです。椿は遅々とはしていても着実に年輪を重ねます。100年先はどうなっているでしょうか。
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 墓への途中にある轟の滝。ここで轟神社(高知市三園町)の秋祭りに輿洗いの神事が行われます。氏子たちに担がれた神輿は川沿いの遊歩道ではなく名切川の渓流を水しぶきを上げながら駆け登って滝壷に跳び込み、身を清めます。


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          土佐史談会
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 山地土佐太郎(1878-1958)という人物をご存知だろうか。
 室戸市が生んだ立志伝中の実業家で、昭和12年、極洋捕鯨会社を設立して南氷洋捕鯨に乗り出したことで知られています。しかし、この人が100年ほど前のブラジル移民にかかわっていたことはあまり知られていません。また子弟の教育問題にも熱心で高知高等学校(大正9年開校、高知大学の前身)誘致に当たっては率先して巨額の寄付に応じたことも、すでに忘れ去られようとしています。
 室戸市羽根町に氏(翁)を顕彰した碑があります。文を撰した橋詰延寿氏は「怒涛天に吼える豪快な海の気を受けた風雲児である」と述べています。
 翁は明治11年、享吉・牟女寿の長男として東京に生まれました。3歳のとき、高知市の第二十七国立銀行支配人となる父に伴われて帰郷、羽根尋常小学校を出ます。その後、高知市の第一高等小学校に進学しましたが父の死によって中退し、家業の酒造業を継ぎました。
 明治26年、津呂に大火が起こり、類焼したため廃業、翌年高知市廿代町の入交太次平商店に入り、実業家への道を進むことになります。入交商店は代々羽根村出身者を採用していた縁だったということです。
 大正5年(1916年)第一次世界大戦の機をとらえて明治物産、明大汽船(のち山地汽船)を創立、続いて7年にはスマトラ護謨会社を興してゴム園経営に乗り出します。昭和12年(1937年)には極洋捕鯨会社を設立して日本屈指の水産会社に成長します。捕鯨母船極洋丸は2万2000トンの巨体、9隻の船団を率いて土佐沖に回航し青年たち2万余名にデモして見せたということです。
 ブラジル移民への貢献ですが、入交商店から独立する前年の明治43年(1910年)のことです。ちょうど100年前になります。
 笠戸丸による第1回に続く第2回は竹村殖民商館の手により旅順丸で行われました。5月4日移民906人(ほかに自由渡航者3人)が神戸を出港、6月28日サントスに着いています。
 この旅順丸に土佐太郎は総監督(事務長)として乗り組みました。入交家の親戚に当たる竹村与右衛門(竹村殖民商館社長)の委嘱によるもののようです。
 船中の仕事については「大任を果たした」という以外、格別の史料を得ませんが、商才にたけていたエピソードとして、豚と竹杖を積んで行って一儲けしたという話が伝わっています。
 ブラジルでは笠戸丸の第1回移民を訪ねて奥地まで調査の旅を続けます。足となるのは馬。ブラジルの馬は太くてたくましい。日本の馬のなんと貧弱なことか。
 この体験が帰国後、馬匹改良に取り組む使命感のもととなりました。
 土佐太郎の生涯は馬を除いては語ることができないといわれますが、このテーマについては高知県競馬組合に詳しい研究者がいます。私の出る幕ではありますまい。

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      龍馬学10講座-龍馬のすべて-(土佐史談会主催)
         場所 高知県立文学館ホール
         時間 午後1時半~3時半の2時間
   日程      講師        講座内容
 5月27日(水)岩崎義郎  坂本龍馬の祖先明智説、龍馬の家族、龍馬の剣術修行と小栗流(了)
 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)(了)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情(了)
 8月 1日(土)佐藤寿良  龍馬と海舟、神戸海軍操練所(了) 
 9月 5日(土)渋谷雅之  龍馬、長崎、船(了)
10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸(了)
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道(了)
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景(了)
     (2010年)
1月17日(日)谷是     龍馬と岩崎・大政奉還~龍馬死後の海援隊とその思想の継承(了)
 2月 6日(土)高橋正    文学に描かれた龍馬像

  参加無料。希望の方は電話でお申し込みください。
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