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   井伊直弼暗殺 情報はこう伝わった

 万延元年(1860)4月3日、国務省で任務の批准書交換が行われた。式は簡単なもので、批准書に日本側は3使、アメリカ側はルウィス・カス国務長官が署名して交換した。
 これに先立って使節は閏3月28日、ホワイトハウスでジェイムズ・ブキャナン第15代大統領の謁見を受けたが、このような公式の席に婦人の姿がたくさん見られたことに奇異な感じを持ったようである。
 批准書交換という本務は終わった。使節団は19日までワシントンに滞在するが、随員たちはみだりに外出することを禁じられていた。
 外出するときは鑑札を貰い、必ずグループを組んで上役同行のうえホテルから出なければならなかった。
 20日ボルチモア、21日フィラデルフィア、28日ニューヨークと特別列車で移動する。
 汽車はすでにパナマで経験しているので驚かないが、フィラデルフィアに入るときには汽車ごと船で川を渡るフェリーの仕組みに驚嘆する。
 そして23日衝撃のニュースが飛び込んできた。地元紙に江戸での異変が報じられたのである。
 安政7年3月3日、水戸藩の浪士らが大老・井伊直弼の登城行列を江戸城桜田門外で襲い大老の首級をあげた事件である。
 凄惨なテロの現場は伝えられていたが真相を確かめるよしもなかった。情報は大老でなく「大君(プリンス、将軍)が殺された」というものであった。
 半信半疑、悪い想像を振り払いながら帰途に着くのであるが、ジャワ、香港あたりまで来て、死んだのは井伊直弼と分かったものの死因はなお病死であった(幕府の公式記録がそうなっている。墓碑の命日も改竄されているという)。
 これから帰ってゆく日本はテロによる騒乱の時代が幕を開けようとしていた。

   馬次郎、将棋を指南

 アメリカ本土を行く馬次郎の動静を報ずる資料が一つだけ見つかった。向こうのチェスクラブの面々を前に将棋を指したという愉快な情報である。
 地元新聞「フィラデルフィア・イブニング・ブリティン」の記事を紹介したもので、一つは1860年6月16日付の記事を基にしたアメリカ囲碁協会ロイ・レアード会長の論考、もう一つはロンドンで発行された
『チェス・ワールド』という雑誌に転載された1868年(月日不明)の記事(日本の明治維新にひっかけた回顧もの)である。
  インターネットの題名は前者が「万延元年のチェスゲーム」、後者は「7人のチェスマスター」。両方とも長文なので要約さしていただくが、全文は題名をキーワードにアクセスできる。英文資料も添えられている。                (つづく)


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          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
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      龍馬学10講座-龍馬のすべて-(土佐史談会主催、定員100名、参加費無料)
         場所 高知県立文学館ホール
         時間 午後1時半~3時半の2時間
   日程      講師        講座内容
 5月27日(水)岩崎義郎  坂本龍馬の祖先明智説、龍馬の家族、龍馬の剣術修行と小栗流(了)
 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)(了)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情(了)
 8月 1日(土)佐藤寿良  龍馬と海舟、神戸海軍操練所(了) 
 9月 5日(土)渋谷雅之  龍馬、長崎、船(了)
10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸(了)
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景
 1月17日(日)谷是     龍馬死後の海援隊とその思想の継承
 2月 6日(土)高橋正    文学に描かれた龍馬像

 参加希望の方は実施予定日の1週間前までに必ず「ハガキ」でお申し込みください。定員いっぱいになり次第締め切らせていただきます(土佐史談会会員を優先いたします)。
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   「陸地ヲ走ル船」に乗る

 アメリカ大陸に取り着いたばかりである。批准書交換の行われるワシントンはまだ遠い。使節団のコースをたどろう。
 使節団の人数は1人減って76人となった。賄方の1人が酒に酔ってイギリス人と大喧嘩をしたため、1カ月後に帰國する咸臨丸で送り返されることになったためである。
 安政7年3月17日、一行を乗せたポウハタン号はサンフランシスコを出発して太平洋を南下する。北米大陸横断鉄道はまだ全通していなかった。
 閏3月5日(年号は万延と改まっている)パナマ港に着いた。パナマ運河はまだ開通していない。
 一行はポウハタン号と別れて、パナマ鉄道会社が特別に用意した8両編成の専用列車に乗り込む。
 客車は長さが約13㍍の箱型で28人が座れた。
 後部車両ほど上等の車で、馬次郎ら従者クラスは第5車両。
 レールは中央が凹んだ構造で、この溝が車輪をくわえ込んで左右にずれないようになっていた。
 パナマ地峡を横断する約2時間半の汽車の旅が始まる。
 初めて見る汽車・列車・鉄道である。一行はその速さにびつくりした。
 馬次郎も強烈な印象を受けたようだ。帰国後、文久2年(1862)閏8月23日、容堂公に謁見、旅の見聞を報告しているが、側用役の寺村左膳道成は日記に
 「今日当人より承るニ、外国ニは陸地ヲ走ル船アリ、蒸気船同様ニ而、鉄道ヲシキ、其上ヲ走るト云、蒸気船よりも早シト云、色々珍ら敷咄しも有之候事」
 と書いている。
 馬次郎自身が書いた「色々珍ら敷咄し」がどこかに埋もれていないものか。使節団では日記をつけるようにと指示が出ていたということだから書いていないはずはない。
 (青山文庫所蔵資料集「寺村左膳道成日記」(一)50㌻=横田達雄編、昭和53年、県立青山文庫後援会発行▽山内家資料 幕末維新第三編上485㌻)

    横浜→ワシントン90日あまり

 カリブ海の港アスピンウォールにはロアノウク号が待ちかねていた。
 閏3月20日ニューヨーク沖投錨、ワシントンへ直接来るよう政府から指示があったため引き返し、ワシントンの川筋の入口で使節団一行は上陸用の川蒸気船フィラデルフィア号に乗り移り、アナコスティア川に面した海軍造船所から上陸した。閏3月25日、正午になるころであった。
 ここにもおびただしい数のアメリカ市民が押しかけ、警官が交通整理に大わらわであったという。
 岸壁には30数台の4頭立て馬車が待機しており、一行を8㌔ほど離れたウィラーズ・ホテルに運んだ。
 横浜を出てから90日余り、サンフランシスコからだと38日かかった計算になる。
 1840年代、ゴールドラッシュにわくアメリカ大陸では東西の両岸を結ぶには3つのルートがあったそうだ。
 一番安いのは危険なうえ時間がかかるロッキー山脈越えの幌馬車隊。
 高いが一番早いのは船・陸・船とつなぐパナマ経由。ただし鉄道が通じたのは1855年である。
 時間はかかるが比較的安全なのが船。中浜万次郎は約半年かけて南アメリカ南端マゼラン海峡廻りで東から西へ航海している。(中濱博著『中濱万次郎』=平成17年、冨山房インターナショナル)。
 明治4年(1871)、高知からも田中光顕、佐々木高行、今村和郎、中江兆民が参加した岩倉使節団は、全通したばかりの大陸横断鉄道を軋らしてサンフランシスコからワシントンに至っているが、正味12日で到着している(実際は途中で雪のため足止め17日間があるので29日)。馬次郎から11年後のことである。
                          (つづく)

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 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)(了)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情(了)
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10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸(了)
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景
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 前回の手紙についてもう少し書く。
 この手紙の資料には「四月十七日由比猪内ヨリ御隠居様(山内容堂)江奉入御覧、同廿二日御下ケ被遊節奉願写之者也」という注釈がついている。
 どういうルートで江戸に届けられたかは分からない。3月9日過ぎに発送し4月17日までに届いている。
 早いのか遅いのか判断のしようもないが、使節団の副使、村垣淡路守はハワイから函館に行く捕鯨船、またサンフランシスコからは横浜に向かう商船に頼んで手紙を届けている。あとで調べたところハワイ発の手紙は4月初めに函館に着き江戸に回送されていたという。
 従者の一人・加賀藩士佐野貞輔鼎も函館便で手紙を出しており「封物の厚きを嫌う故に薄紙に細書す」としたためている。(服部逸郎著『幕臣航海記太平洋を渡る遣米使節』=昭和39年、人物往来社。なお著者は村垣副使の曾孫▽佐野鼎遺稿『航海日記』2月16日の條)
 もう1点、手紙についての疑問。
 権威ある山内家資料にケチをつけるようで申し訳ないが、冒頭にある「萬延元二月十四日」、馬次郎がこの年号を書けるはずはない。
 安政7年が桜田門外の変のため3月18日に至って急きょ萬延と改元されたのであって、2月14日や3月9日はまだ安政7年である。
 まだない年号がどうして書かれたのか。
 推察はできる。
 伝えられているこの手紙は写し、扣である。
 先に触れたように4月17日御隠居様に見せたあと「同廿二日御下ケ被遊節奉願写之者也」と注釈にある。写した担当者が何の気なしにその日の年号を書いたものではないかと思う。

   藩政期の海外渡航(土佐藩)
◇中濱万次郎 天保14年(西暦1843) アメリカ
         (アメリカ本土で生活を始めた年)
◇山田馬次郎 万延元年  (〃1860) アメリカ
◇大石団蔵  慶応元年  (〃1865) イギリス
◇結城幸安  慶応2年  (〃1866) イギリス
 薩摩の中井弘(ひろむ)とともに渡航。中井は鮫島零蔵、中井弘三、中井弘蔵、田中幸助などの変名を使っているが この時どれを称していたか不明。また出発は慶応3年10月15日横浜(西暦1867・11・10SUN) とした記録もある=インターネット「幕末千夜一夜」参照。
◇大庭源次兵衛 慶応2年か3年(〃1866~67) イギリス
 開成館貨殖局長崎出張所の慶応2年8月より翌年7月までの期に結城・大庭2人の洋行費が支出されている。中井の費用も後藤象二郎の斡旋で土佐藩持ちだったらしい。
 (土佐史談54号平尾道雄氏「貨殖局長崎出張所」および 34号福島成行氏「大政返上建白書起草者に就きて」、 さらに234号渋谷雅之氏「長井長義と土佐人」参照)
                        (つづく)

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 10月2日、実力派歌手・高橋真梨子のコンサートを聴く。場所は高知市の県民文化ホール(オレンジ)。
 父の日のプレゼントとして長女と長男の嫁からチケットをいただいていた。
 1504席あるホールは満席。女性が圧倒的に多かったが、私ら男の白髪組も恥ずかしくない程度に席を占めていた。
 15年ぶりの高知公演だそうだが、この日は天候がよくなかったので飛行機はかなり揺れたという。
 ところで彼女、デビューまもなく高知に来たことがあるそうだ。
 彼女は昭和47年(1972年)にペドロ&カプリシャスにスカウトされてボーカルとして参加、翌年「ジョニーへの伝言」が大ヒットとなり、49年の第25回紅白歌合戦に出場する。
 この歌は、名古屋-高知-鹿児島を結んだ日本高速フェリーの「さんふらわあ」船上(レストランシアターでのディナーショーか)で発表したものだと、彼女の夫ヘンリー広瀬が紹介していた。その時、高知市内へ繰り出して有名な播磨屋橋で記念撮影したが、欄干だけのある“がっかり名所”だったとの感想。
 いまはもう外洋航路のことなどすっかり忘れていた私にとって、「さんふらわあ」の名をこんな席で聞くとは思いもよらなかった。
 コンサートはプログラムによると「桃色吐息」など20曲(私のカウントでは22曲)、歌詞を味わいながらメロディーに浸る雰囲気にはほど遠かったが、大劇場、大舞台てのショーでは致し方なかろう。少々やかましかったが堪能した。
 聴衆も初めは静かだったが、徐々に盛り上がり、スタンディングオベーションも起こった。
 このことを予想してか、わが娘たちは腰痛の私の席を2階の一番端っこに指定してくれてあったので、総立ちの聴衆の中に沈み込むことは避けられたが、オペラグラスのサービスは無かったのでデビュー36年目の高橋真梨子さんの表情はうかがえなかった。
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 さんふらわあ=1万トンを越す白い船体に太陽の絵がシンボル。
 照国海運の子会社日本高速フェリーが1972年2月1日に名古屋-高知-鹿児島間に就航させた。
 1号のこの船は11,312総トン、豪華な内装、プールなどの施設を持ち、当時クルーズ客船を持たなかった日本で一世を風靡した。
 映画やテレビにもたびたび登場、『刑事物語くろしおの詩』、『太陽にほえろ』の「南国土佐、黒の推理」など数え切れない。
 同年5月28日には2号船(12,112総トン)を同航路に投入、3日に2便の運航となった。
 さらに内装が豪華になった3番船「さんふらわあ5」(12,711総トン)が1973年3月21日に東京-高知航路に就航、翌74年7月4日4番船「さんふらわあ8」(12,759総トン)が加わって毎日運航となり、那智勝浦にも寄港する。
 5番船も建造されたが、折から襲った石油ショック。燃料費の高騰に加えてトラック輸送の落ち込みや短期間に大型船を5隻も建造するという設備投資の重圧から75年9月に照国海運は倒産、高知航路の2つのラインは転々として2001年10月までに廃止された。
 フィリピンに売られた5番船の「さんふらわあ11」は1998年9月19日、台風に巻き込まれて沈没、267人という死者・行方不明者を出す悲惨な最期を遂げている。フリー百科事典『ウィキペディア』に詳しい。


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                         アントワープの街
 畏友・谷是(ただし)氏の2年ぶりの個展です。ご承知かとも思いますが土佐史談会で副会長をつとめる実力者です。近くの方、立ち寄ってやってください。
    第13回谷是油彩個展(無所属)
    …オランダ・ベルギーを旅して…
   10月7日(水)~10月16日(金)
午前9時30分→午後6時(最終日午後4時)
     浜幸画廊(菓子の浜幸5階)
     高知市はりまや町1-1-1

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