上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 土佐史談241号ができましたので割り込ましていただきます。目次は次の通りです。

◇朝倉慶景 戦国・織豊期の波川氏についての一考察(8ページ)
◇山本武雄 最蔵坊小笠原一学について(10ページ)
◇竹本義明 近世和文体史と土佐の和文(上)(11ページ)
◇内川清輔 大正デモクラシーから満州事変までの高知(中)-昭和初期(15ページ)
◇細川光洋 吉井勇の<高知・歌行脚時代>ノート(二)-大鹿卓宛書簡新資料をもとに-(14ページ)

 なおこの号によりますと、土佐史談会の会員数は5月現在470人で、都道府県別は次のようになっています。
  高知県372人 東京都29人 神奈川県11人
  兵庫県 11人 千葉県 9人 大阪府  8人
  愛媛県  7人 埼玉県 4人 奈良県  4人
  その他 15人
 京都がないのが不思議(3以下かな)ですが、会では入会を呼びかけています。

           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
          振替口座 00910-3-75719
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
      龍馬学10講座-龍馬のすべて-(土佐史談会主催、定員100名、参加費無料)
         場所 高知県立文学館ホール
         時間 午後1時半~3時半の2時間
   日程      講師        講座内容
 5月27日(水)岩崎義郎  坂本龍馬の祖先明智説、龍馬の家族、龍馬の剣術修行と小栗流(了)
 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)(了)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情(了)
 8月 1日(土)佐藤寿良  龍馬と海舟、神戸海軍操練所
 9月 5日(土)渋谷雅之  龍馬、長崎、船
10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景
 1月17日(日)谷是     龍馬死後の海援隊とその思想の継承
 2月 6日(土)高橋正    文学に描かれた龍馬像

 参加希望の方は実施予定日の1週間前までに必ず「ハガキ」でお申し込みください。定員いっぱいになり次第締め切らせていただきます(土佐史談会会員を優先いたします)。
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
↓応援クリック
 お願いします↓



File000110%

 上記『板垣退助君伝記』の第1巻は8月下旬発売予定で定価9,975円。以下第2巻は9月下旬、第3巻は10月下旬、第4巻は11月下旬の隔月発売です。定価は各巻同額の9,975円。全巻人名索引が付きます。A5判・上製・函入。発行所は原書房(東京)。
スポンサーサイト
   第五章 貴族院勅選議員への道

   民法(旧民法)作成の大仕事

 今村和郎は法制部に属し、民法とりまとめという大仕事に携わった。民法に限らず先進国に劣らない法典の整備は不平等条約の改正を目指す明治新政府にとって急務であった。
 民法典については明治3年以来いろいろな試みがなされたが、最終的にはフランス人法学者ボアソナードに原案起草をゆだねることになった。
 彼はフランス民法にならって第1編人事編、第2編財産編、第3編財産取得編、第4編債権担保編、第5編証拠編の構想で起草にかかった。ただし第1編の家族法と第3編のうち相続法については日本固有の慣習にうといため起草を辞退し、日本人委員に草案づくりをゆだねた。
 草案はまとまったものから元老院の審議に回されたようで、明治19年12月8日の東京日日新聞には民法第1読会に関する次のような記事が見える。
  「我が政府はさきに民法編纂のため数名の委員を置きて同法を取調べ居られしが、ようやく同法中の人権、物権の両部は全く調整済みとなり、このほど内閣より元老院へ下付せられたれば、一昨日同院に於いて始めて第1読会を開かるる事となれり。
 同院にてはこの事を数日前各官衙へも通知せられたれば、各庁の高等官の方々も多く傍聴に出席せられたり。
 かつ客年大改革以来、同院会議の節は内閣より説明委員として法制局参事官2名を出席せしめらるる例規なるが、同法は国家の一大法案たるを以って、このたび2名を増加し、更に説明員を4名とし、特に法制局参事官周布公平、今村和郎、大審院検事磯部四郎、司法省参事官熊野敏三の4氏に命ぜられたりと云う」
 第1読会当日の議事は、元老院議官だった尾崎三良によると、午前10時から午後3時まで続いた。前記4人の内閣委員はそろって出席し、民法起草の経緯と各条について説明した。修正意見などは次回から発言することにして、この日は第501条から始めて第518条まで読み進んだ。
 尾崎は「其文仏文ヨリ直訳シタルヲ以テ甚ダ解シ難シ」と書いている。(『尾崎三良日記』=平成3年、中央公論社発行=中巻72ぺージ)
 その後、民法委員会は年内に8回開かれ、第729条条まで審議している。かなりのスピードである。(同書77ページ)
 当時、民法編纂の実務は司法省(山田顕義大臣)が担当していたが、今村らはほとんど連日のように同省に出仕、討議に参加した。
 会議は午前8時開始厳守の申し合わせだった(同書中巻289ページ)のでハードな毎日であった。
 責任者ボアソナードの下、今村の仏学が役立ったことは勿論である。
 議論の一例を挙げる。
 明治21年10月、今村は「賃借権」について意見書を提出、4日の会議で議題となった。13日の『尾崎三良日記』は次のように書いている。
 「賃貸借を人権にするか物権にするかの論盛んなり。今村主として人権論を主張し、報告委員中にも熊野(敏三・司法省参事官)、光明寺(三郎・大審院検事)、井上正一(司法省参事官)等皆人権論なり。磯部四郎(大審院検事)、栗塚(省吾・司法大臣秘書官)等は物権論者なり。
 又委員中には尾崎忠治、箕作、清岡、渡、松岡、北畠(治房・東京控訴院評定官)及余人権説なり。槙村、西(成度・東京控訴院長)、南部(甕男・大審院民事第一局長)、村田(保・元老院議官)の4人物権論者なり。
 人権論者多数なるも山田(顕義)委員長物権論者なるを以て輒く決せず。猶ボ氏に一応質疑して然る後決する事に定む。委員長は兎角私意を以て議事を左右するの傾きあり」(同書中巻228、230ページ)
 このような討議を経て財産編、財産取得編(相続法を除く)、債権担保編、証拠編が明治23年4月21日に法律28号として、人事編と財産取得編の相続法が同年10月7日に法律98号として公布された。
 「仏法学派」のスタッフとして参画した今村、法制局部長時代(前者は法制部長、後者は第三部長)の業績である。
 この民法は明治26年1月1日から施行される予定であったが、この施行をめぐって政界を巻き込んだ法典論争が展開される。施行延期を主張する穂積八束博士は「民法出デテ忠孝亡ブ」と題する論文を発表、この法律は進歩的・個人主義的に過ぎるとし、家族道徳を破壊し、日本の国体に悪影響を及ぼすと主張した。
 結局、第3回帝国議会で延期法案が可決され、今村が関与した、いわゆる「旧民法」は日の目を見ないまま作り直されることになるのだが、それは彼の死後のことである。(つづく)


           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
          振替口座 00910-3-75719
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
      龍馬学10講座-龍馬のすべて-(土佐史談会主催、定員100名、参加費無料)
         場所 高知県立文学館ホール
         時間 午後1時半~3時半の2時間
   日程      講師        講座内容
 5月27日(水)岩崎義郎  坂本龍馬の祖先明智説、龍馬の家族、龍馬の剣術修行と小栗流(了)
 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)(了)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情
 8月 1日(土)佐藤寿良  龍馬と海舟、神戸海軍操練所
 9月 5日(土)渋谷雅之  龍馬、長崎、船
10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景
 1月17日(日)谷是     龍馬死後の海援隊とその思想の継承
 2月 6日(土)高橋正    文学に描かれた龍馬像

 参加希望の方は実施予定日の1週間前までに必ず「ハガキ」でお申し込みください。定員いっぱいになり次第締め切らせていただきます(土佐史談会会員を優先いたします)。
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
↓応援クリック
 お願いします↓



   第5章 貴族院勅選議員への道

   6年半のフランス滞在終え帰国

 今村和郎が帰国したのは前掲『幕末明治海外渡航者総覧』(第1巻32ぺージ)によると、明治11年6月11日。岩倉使節の一員として横浜を出てから6年5カ月余り後である。
 帰国後間を置かず御用掛(奏任官)として司法省に勤め始めるが、以下官僚としての歩みを辞令で示す。
 ▽明治11年8月20日=任太政官権少書記官兼司法権少書記官法制局専務
 ▽12年3月24日=任内務少書記官
 ▽10月13日=中央衛生会議委員
 ▽12月18日=叙従六位
 ▽12月23日=地方官会議御用掛
 ▽13年1月4日=同内閣委員(3月18日には事務勉励慰労金として50円下賜)
 ▽9月7日=任内務権大書記官
 ▽10月21日=叙正六位
 ▽14年11月18日=兼任参事院員外議官補
 ▽兼任登記法取調委員
 この間、集会条例へのかかわりについては既に述べたが、太政官権少書記官として府県会規則の細目起草にも当たっていたようである。
 明治11年10月1日太政官大書記官(内務大書記官兼任)の井上毅は法制局長官の伊藤博文(内務卿兼大蔵卿臨時代理)に次のような手紙を書いて府県会規則細目の早急決定を要請している。
 「謹啓尾崎、今村両人起草之府県会規則細目、急に御決定に相成度、就而は法制局へ御臨席被成下、前島少輔并松田書記官出席、如先度局員一同御評定被下候歟、又は起草之儘に直に而御認定に可相成哉、法制局にても差急候事情も有之候間、御裁令奉仰き候、頓首(前掲『伊藤博文関係文書』第1巻311ページ)
 尾崎は尾崎三良、今村はもちろん和郎である。

   参事院から内閣法制局へ

 内務権大書記官兼参事院員外議官補の職を辞めて外遊した板垣退助随行から帰国(明治17年2月19日)した今村和郎は3月初め外務省権大書記官として復職、翌4月の24日、辞任前に兼官していた参事院に議官補(五等官相当)として本格復帰を果たした。
 どんな職掌かを説明するため「参事院章程」(太政官第89号、明治14年10月21日公布)を掲げる。
 第1条 参事院は太政官に属し、内閣の命により法律規則の草定審査に参預するの所とす。
 第2条 参事院の職員は議長1人、副議長1人、議官及び議官補、員外議官補とす。
 第3条 議官の中、議長の命を以って部長6人を置き、各部の事務を提理す。
 第4条 議官補は各部に分属し、議案を造り及び会議に列し本案の趣旨を弁明す。
 第5条 員外議官補は諸省書記官の中を以て兼て之に充つ。本案主任の件に限り臨時議事に列席す。

 明治18年12月22日、それまでの太政官に代わって内閣制度が設けられた。初代内閣総理大臣は伊藤博文。
 翌23日、内閣に法制局が置かれ、人事が発令された。今村和郎は序列6番目の参事官に任命された。
   法制局官制
 第1条 法制局に左の職員を置く。
  長官1人、参事官20人、書記官2人、属
 第3条 法制局に左の諸部を設く。
  行政部=外交、内務、勧業、教育、軍制、財務、
逓信に関する法律命令の起草審査を掌る
  法制部=民法、訴訟法、商法、刑法、治罪法及
び之に関する命令の起草審査を掌る
  司法部=恩赦、特典及び諸裁判所の官制及び
行政裁判を掌る
 第5条 各部に参事官の中1人を以て部長を置く。
 第7条 参事官は各部に分属し、法律命令の起草審査を掌る。
 第8条 部長及び参事官は内閣総理大臣の命に依り内閣委員となりて元老院に出頭し、下付の議案を弁明す。
 
 叙任(明治18年12月23日)
  兼任法制局長官=宮中顧問官・山尾庸三
  参事官=岩崎小二郎、馬屋原彰、周布公平、平田東助、曾禰荒助、今村和郎、山脇玄、本尾敬三郎、男谷忠友、広瀬進一、木下周一、岸本辰雄、荒川邦蔵、渡辺廉吉、山県伊三郎、牧野伸顕、広橋賢光、小池靖一、水野遵、蒲生仙
  書記官=落合済三 牧朴眞      (つづく)

           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
          振替口座 00910-3-75719
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
      龍馬学10講座-龍馬のすべて-(土佐史談会主催、定員100名、参加費無料)
         場所 高知県立文学館ホール
         時間 午後1時半~3時半の2時間
   日程      講師        講座内容
 5月27日(水)岩崎義郎  坂本龍馬の祖先明智説、龍馬の家族、龍馬の剣術修行と小栗流(了)
 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)(了)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情
 8月 1日(土)佐藤寿良  龍馬と海舟、神戸海軍操練所
 9月 5日(土)渋谷雅之  龍馬、長崎、船
10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景
 1月17日(日)谷是     龍馬死後の海援隊とその思想の継承
 2月 6日(土)高橋正    文学に描かれた龍馬像

 参加希望の方は実施予定日の1週間前までに必ず「ハガキ」でお申し込みください。定員いっぱいになり次第締め切らせていただきます(土佐史談会会員を優先いたします)。
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
↓応援クリック
 お願いします↓


   第4章 在フランス時代

   「前日之今村」

 明治5年11月19日、佐佐木高行理事官が伊藤博文特命全権副使に「今村ノ義」について内談したことは第3章末尾に書いた。
 使節団内部でも、またフランス側との間でも話が進められた。
 フランス文部省としても東洋語学校の日本語教師が欲しかったようである。随行員に帰国指示が出ていたにもかかわらず今村のフランス残留は認められた。
 この間の経緯は前掲『岩倉使節の研究』に詳しい(同書213~216ページ)
 同書に引用されている外交史料「在仏雑務書類」原本は、アジア歴史資料センターからインターネットに画像公開されている。その中に帰国旅費を請求する次の稟議書(A)
  文部理事一行来二月五日ヲ以テ當洲発程帰朝可仕候條
  旅費金等夫々御渡シ有之度奉存候也
    酉正月     文部理事官田中不二麿
       特命全権使節
            会計課御中
                  田中不二麿
                  長與専斎
                  中島永元
                  近藤鎮
                  内村良蔵
                  今村和郎
があるところを見ると、今村のフランス残留はぎりぎりまで決まらず、「やはり駄目か」とあきらめかけた時期があったように推測される。
 しかし結局、今村の望みはかなえられた。
 田中文部大丞理事官は6年2月5日、帰国の途につき、今村の身柄はパリ公使館の鮫島公使に引き継がれる。
 2月10日付で今村は「本官免」となる。伺書(B)は次の通り。
              書記官礼之
  先日鮫島公使方ニ御引渡相成候元文部理事官随行今村和郎儀弥當府東方國語學校教授試補トシテ相雇度候ニ付差支ノ有無相尋候段文部卿ノ望ニ應シ外務卿ヨリ鮫島公使へ書翰相贈リ候依之鮫島方ヨリ差支無之返答致シ可然哉ノ旨申来候ニ付御指圖書相添此段奉伺候以上
    二月十日
   御指圖
  今村和郎儀當國東方國語學校ノ教授試補ニ相雇度段文部卿ノ望ニ應シ外務卿ヨリ貴館へ差支ノ有無尋越シ候趣承知致候右ハ一統協議ノ上ニテ本人引渡候事故本文ノ通御取計可有之候也
     二月十日     特命全権大副使
       鮫島辨理公使殿
     岩倉公
     木戸公
     大久保公
     伊藤公
     山口公
本官ヲ免可為鮫島申立ノ通事
  (A)JACAR(アジア歴史資料センター)3単行書・大使書類原本在仏雑務書類(国立公文書館)Ref・AO4017149600(第52画像目から)▽(B)同上(第110画像目から)
 
 この日からの5年余り、井上毅が「前日之今村」と表現した(本誌229号5ぺージ下段20・21行)在フランス時代は井田進也氏の研究に頼らしていただく。

   井田進也教授の研究から

 昭和49年6月、東京都立大学仏文研究室(当時)の井田進也教授は、およそ100年前の中江兆民のフランス留学生時代について調べるため現地へ渡る。約10カ月の研究調査で持ち帰った結果をもとに成ったのが『中江兆民のフランス』(昭和62年12月、岩波書店発行)という著作に盛られた論考である。主題は題名の通り兆民であるが、今村の業績についても詳しく書かれている。
 今村は田中理事官随行を解かれ、身分がパリ公使館に移ったあと、明治6年(1873年)3月15日付でパリ東洋語学校の日本語講師に任命される。同校は1868年(明治元年)に日本語講座を新設し、レオン・ド・ロニーが主任教授をつとめていた。日本研究会を主宰し『太平記』や『実語経』の翻訳があるという。
 今村はロニー教授を助けて日本研究会の書記として『年報』の編集に当たるとともに、教授との共編で東洋語学校で使ったと思われる『本朝史略』3巻を出版している。『太平記』や『古事記』『日本書紀』『大日本史』『日本外史』のそれぞれ抜粋が収められているという。
 井田教授はこの業績を「揺藍期のフランス日本学の発展に貢献した」と評価している。
 またロニー、今村は急進的な思想家アコラースの主宰する『政治学』という雑誌に寄稿者として名を連ね、アコラースはロニー創立の人種誌学会に入るという協力関係を築いている。(以上『中江兆民のフランス』21、39、102~103ぺージ)
 このアコラースとは後年、板垣退助洋行に同行した際に通訳として再会することになる。
 6年11月になると和郎は向こう3年間留学生並みの待遇(年額1000円)で司法省から「当省事務並刑民法律」取り調べを命ぜられる。(前掲『中江兆民のフランス』102ページ)
 井田教授は、今村が「司法省雇いと東洋語学校をどのように兼任したかについてはつまびらかにしない」と書くが、『明治警察史論集』に載っている履歴には明治6年3月左院御用掛となっており、7年10月の『掌中官員録』(西村組商会発行)も左院御用掛・仏国在留(小西四郎監修、神谷次郎・安岡昭男編『幕末維新史事典』昭和58年9月新人物往来社発行、538ぺージ)、さらに10年1月の『明治官員録』(大崎清重編)には内務省取調局少書記官と掲載されている(同書35ぺージ)。官としての身分はずっと保っていたように思われる。(つづく)

           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
          振替口座 00910-3-75719
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
      龍馬学10講座-龍馬のすべて-(土佐史談会主催、定員100名、参加費無料)
         場所 高知県立文学館ホール
         時間 午後1時半~3時半の2時間
   日程      講師        講座内容
 5月27日(水)岩崎義郎  坂本龍馬の祖先明智説、龍馬の家族、龍馬の剣術修行と小栗流(了)
 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)(了)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情
 8月 1日(土)佐藤寿良  龍馬と海舟、神戸海軍操練所
 9月 5日(土)渋谷雅之  龍馬、長崎、船
10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景
 1月17日(日)谷是     龍馬死後の海援隊とその思想の継承
 2月 6日(土)高橋正    文学に描かれた龍馬像

 参加希望の方は実施予定日の1週間前までに必ず「ハガキ」でお申し込みください。定員いっぱいになり次第締め切らせていただきます(土佐史談会会員を優先いたします)。
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
↓応援クリック
 お願いします↓


 今村和郎の話も11回を重ねました。一区切りついたここらで一休みして、話題を変えてみます。
 6月9日の高知新聞に、高知県高岡郡越知町の柴尾地区で「虫送り」行事か行われたことが載っていました。大わらじを担いだ男衆を先頭に鐘や太鼓をたたきながら農道を進む老若男女およそ50人の写真も掲載されていました。害虫を追い払い五穀豊穣を願うこの行事も、農薬の普及で廃れてしまったと思っていましたが、この地区では連綿として受け継がれていたのですねえ。
 越知町だけでなく、インターネットを検索してみますと、土佐郡土佐町宮古野地区でも続いているようで、写真付きで見ることができます。
 「虫送り」という伝統行事、キーワードは斎藤別当実盛と大わらじでしょう。
 まず斎藤別当実盛。
 平安時代の末期、平氏と源氏が覇を争った時代に翻弄されて討ち死にした武将です。武蔵の国をめぐる源氏の内輪争いの時には後の木曽義仲(駒王丸)を助けたことがあります。その後、平氏の配下となり、その義仲の軍と加賀の国に戦い敗れます。寿永2年(1183年)篠原の戦いです。
 味方総崩れの中、最後尾でただ一騎防戦しますが、義仲軍の手塚太郎に討ち取られて73歳の生涯を終わっています。
 「平家物語」や「源平盛衰記」は当日の実盛のいでたちや、老兵とあなどられないよう白髪を黒く染めていたこと、最後まで名乗らなかったことなどを書いています。「もえぎおどしの鎧着て、鍬形打ったる甲の緒をしめ、……葦毛なる馬に黄覆輪の鞍おいて」云々と。
 実盛が討たれた際、乗っていた馬(あるいは本人)が稲の切り株につまずいたところを討ち取られたとも言われ、実盛が復讐のため稲を食い荒らす害虫になったという言い伝えがあるそうです。この戦いのあと何年か不作が続いたといわれ、そんなところから言われだしたのかも知れません。
 この虫送り、義仲が幼いころの恩人でもある実盛の供養と豊作祈願のため始め、それが全国に広まったと言われます。 
 次に大わらじですが、鐘や太鼓は大きな音で害虫を追い払う効果があろうかと思いますが、草鞋にはどんないわれがあるのでしょうか。
 実盛は義仲軍の一人の郎党を斬り捨てた隙に、手塚太郎に鎧の裾をまくられて太刀を突き立てられ、弱ったところを組み伏せられて首を落とされたと言われます。この時の怨念が虫になり、履いていた草鞋から這い出して稲に害を及ぼしたということで、実盛供養のため草鞋が作られるようになったそうです。
 土佐史談55号(昭和11年)に高知県女子師範学校郷土室の労作「土佐民間年中行事に関する調査」が52ページにわたって載っています。いまになってみますと貴重な民俗資料。昭和初期、この「虫送り」行事、どんな風に行われていたのでしょう。その中から拾ってみましょう。
 高知市近郷で採集した事例=6月20日にイナゴ送りと称し地区民が集まって鐘太鼓をたたき「斎藤別当実盛、稲の虫や、ひしゃげた」と唱えながら田を廻る(夜はたいまつをたく)。また実盛の足に虫が湧き足を切り捨てたところ、その虫が稲についたと称し、長さ1間余りの草鞋を作り、川へ流したが、この習慣は近年廃れた」と書かれています。
 吾川郡池川町=6月20日を実盛様の縁日と称し虫供養をする。「奉供養斎藤別当実盛、悪虫退散、五穀成就」と書いた撥(ばち)で太鼓と鐘をたたきながら村中を巡回し、あと撥を川へ投げ込む。その時一同は「おお」と叫ぶ。
 吾川郡富岡村(現仁淀川町)=旗へ虫送り、麦の虫、黍の虫、稲の虫などと書き、太鼓と鐘をたたきながら「斎藤別当実盛公、麦の虫もついて来い、黍の虫もついて来い、稲の虫もついて来い、便所の虫もついて行け」と唱えながら廻り、川へ行って流す。
 唱える言葉は「稲の虫や送った、大豆の虫や、ひしゃいだ」(安芸郡奈半利町)、「稲の虫、追いまくろ」(安芸市赤野)、「稲の虫を送り飛ばした」(高岡郡佐川町黒岩)といろいろですが、斎藤別当実盛は欠かせません。
 土佐市戸波では、坊さんを招いて虫供養をしたあと祈念をこめたビワの葉を田に立て、「斎藤別当実盛、稲の虫や、西へ行け」と虫送りする例が載っていますが、西の地区が「東へ行け」とやったらどうなるでしょう。
 このビワの葉ですが、「稲虫退散」とか「南無阿弥陀仏」と書いて祈祷してもらい、田の畦に立てる習慣があちこちで報告されています。全国的にはどうでしょう。
 次回からまた「今村WARAU伝」に戻ります。

           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
          振替口座 00910-3-75719
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
      龍馬学10講座-龍馬のすべて-(土佐史談会主催、定員100名、参加費無料)
         場所 高知県立文学館ホール
         時間 午後1時半~3時半の2時間
   日程      講師        講座内容
 5月27日(水)岩崎義郎  坂本龍馬の祖先明智説、龍馬の家族、龍馬の剣術修行と小栗流(了)
 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)(了)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情
 8月 1日(土)佐藤寿良  龍馬と海舟、神戸海軍操練所
 9月 5日(土)渋谷雅之  龍馬、長崎、船
10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景
 1月17日(日)谷是     龍馬死後の海援隊とその思想の継承
 2月 6日(土)高橋正    文学に描かれた龍馬像

 参加希望の方は実施予定日の1週間前までに必ず「ハガキ」でお申し込みください。定員いっぱいになり次第締め切らせていただきます(土佐史談会会員を優先いたします)。
      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
↓応援クリック
 お願いします↓


  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。