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 土佐史談229、231、232号(平成17~18年)に連載させてもらった「今村WARAU伝」を少しずつ読んでいただいています。

   第二章 今村和郎の出自

   土佐国高岡の生まれ

 洋行した板垣退助に従って通訳を務め、のち第1回帝国議会には貴族院勅選議員として臨んだ今村和郎は弘化3年(1846年)9月3日、土佐国高岡郡高岡村で生まれた。
 父は治之助(明治5年歿、享年55)、母は烈(明治24年歿)。6人きょうだいの長男である。
 今村家は高岡の名家である。『土佐市史』(昭和53年発行)は「富商今村氏」という見出しを立てて、歌人の楽(たぬし)、第13代藩主山内豊熈に宿を提供した嘉伝次、藩のご用金に資した藤左衛門らを紹介している。和郎はこの一族の血を受けた一人であった。
  『土佐市史』に掲載された一族の家系図は、一部省略されているので、神奈川県に住む子孫の方(和郎の弟・猪吉の孫・今村耕太郎氏)が所蔵されている系図(写し)と重ねながら家系をたどってみる。その系図には「大正六年丁巳才五月廿八日記 高岡西中町乙百五拾九番地 金物商今村利之助」との署名がある。
 この系図は元和5年(1619年)生まれの今村伊兵衛(万治3年6月19日、42歳で死亡)に始まっている。
 『土佐市史』によると、これより3代前の惣十郎は高岡村林口御所ノ内に住み、その子の長左衛門の時代に同村天神に移り、この伊兵衛は23歳の寛永18年、同村麻生田に居を移した。
 一族は一領具足だったらしく農民として生活していたが、山内氏の治世も75年経った延宝3年(1675年)に至って伊兵衛の子、与左衛門と惣兵衛重政の兄弟がそろって高岡市町に進出、屋号を「紙屋」として商売を始めた。惣兵衛重政はのち分家して「政屋」を興し、ともに高岡市町を代表する商家として発展を遂げる。
 政屋の2代目に惣兵衛と兵右衛門の兄弟があった。弟の兵右衛門〔元禄16年(1703年)生まれ、天明2年(1782年)2月26日歿、享年80〕からのラインが和郎へと続く。
 即ち兵右衛門の子が徳右衛門(「如柳」という俳号を持つ)といい、その子が徳右衛門、以下治之助〔明治5年(1872年)、55歳で歿〕を経て和郎に至る。
 系図には治之助の名の右肩に「町老(としより)」とある。庄屋の補佐役らしい。俳人がいたり、伝承によると質屋を開いていた時代もあるというから、豊かな有力者の家系が想像される。
 和郎には4人の弟と1人の妹があった。為五郎、幸吉、小十郎、猪吉、トミである。東京に出て富士見町に住んでいた和郎は長男として母と弟らを呼び寄せて生活していたとみえ、系図には「行衛不明」(為五郎)、「東京ニテ死」(幸吉、小十郎)、「富士見町住ス」(猪吉)の書き込みがある。
 和郎は妻順との間に剛太郎、福の1男1女をもうけたが、2人とも早世、和郎が亡くなった後、末弟の猪吉が順と結婚して跡目相続、1男2女をもうけた。
 なおこの系図は和郎の父を「治良」と書きとめているが、今村耕太郎氏は過去帳や位牌により「治之助」が正しいと言い、和郎が貴族院事務局に提出した履歴書にも「治之助」と書かれている。(つづく)

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          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
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      龍馬学10講座-龍馬のすべて-(土佐史談会主催、定員100名、参加費無料)
         場所 高知県立文学館ホール
         時間 午後1時半~3時半の2時間
   日程      講師        講座内容
 5月27日(水)岩崎義郎  坂本龍馬の祖先明智説、龍馬の家族、龍馬の剣術修行と小栗流(了)
 6月 7日(日)小美濃清明 江戸留学と国際情勢(品川)
 7月29日(水)三浦夏樹  土佐勤王党と脱藩事情
 8月 1日(土)佐藤寿良  龍馬と海舟、神戸海軍操練所
 9月 5日(土)渋谷雅之  龍馬、長崎、船
10月 3日(土)豊田満広  薩長連合、海援隊成立、岩崎との関係、いろは丸
11月 7日(土)広谷喜十郎 福井藩と龍馬との関係・大政奉還への道
12月 5日(土)松岡司    龍馬・中岡の死とその背景
 1月17日(日)谷是     龍馬死後の海援隊とその思想の継承
 2月 6日(土)高橋正    文学に描かれた龍馬像

 参加希望の方は実施予定日の1週間前までに必ず「ハガキ」でお申し込みください。定員いっぱいになり次第締め切らせていただきます(土佐史談会会員を優先いたします)。すべて受講される方、都合の良い月に受講される方は、その旨をハガキにお書きください。
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   第一章 板垣退助洋行の添乗員

   ヨーロッパヘ向けて出発

 こうして自由党総理・板垣退助、自由党諮問・後藤象二郎、随員・栗原亮一、通訳・今村和郎の4人はそれぞれの思惑を胸に、明治15年(1882年)11月11日、横浜を出港して洋行の途に着いた。
 ここに至るまでには『自由党史』が「総理外遊の内訌」と題する一章を設けてその経緯をしるした大騒動があったし、その過程で今村も対立政党の新聞から批判を浴びせられた。やっとここまで来たという思いだったろう。
 この旅で板垣はクレマンソー、ビクトル・ユーゴ、アコラス、スペンサーら政治家、碩学の士と会談した。
 ユーゴはすでに板垣の岐阜遭難について知っており、「君は東洋において早くから自由民権論を唱えられ、先達として多くの艱難をなめてこられた。先日は刺客に遭われたことも聞き及んでおります。傷の方はもう十分治っておられますか」と、いたわりの言葉で遠来の賓客を迎え、「進め、退くことなかれ」という言葉を贈ったという。もちろん今村の通訳である。(坂崎紫瀾が明治17年7月22日の自由新聞に書いた『彪吾先生略伝』から)

   今村の同伴帰国は疑問

 このような日程をこなして一行は5月13日マルセイユから仏国郵船ペイオー号で帰国の途についた。6月15日香港着、同国郵船タイナス号に乗り換えて明治16年6月22日横浜に帰り着いた。
  『自由党史』は随行者2人の動静についてわざわざ「其行を同ふすること出遊の時の如し」と書いて4人同時の帰国を強調しているが、一行の横浜帰着を取材した朝野新聞は23日付の紙面にこう書いている。

  「予て記載せし如く自由党総理板垣退助君、同党顧問後藤象二郎君には同行の栗原亮一氏(今村和郎氏は暫時香港へ滞留されたる由)と共に昨曉横浜港へ入港されたれば同党の諸氏は横浜へ迎ひの為め出張せられしが、後藤君は南仲通の自由舎へ赴かれ、板垣君は迎ひの人々と共に後二時臨時汽車にて新橋へ着せられしが茲にも馬場氏を始め諸氏迎ひの為め出張せられ、其恙なきを視し、直に芝区兼房町五番地の川松楼に投宿せられたり」

 だれから取材したのか知らないが、先に紹介した井上馨の手紙と合わせ読むと、「暫時香港へ滞留」さえも怪しい。
 すでにマルセイユから一行と別れていたのではないか。
 外務省外交史料館所蔵の『航海人明細簿(鑑)』を基に編集された『幕末明治海外渡航者総覧』(手塚晃・国立教育会館編、平成4年3月柏書房発行)第1巻132ページによると、渡航時期1883年(1882年の誤りか)に見合う帰国時期は「1884年2月19日」(明治17年2月19日)となっている。板垣らが帰国して8カ月近く後である。
 この帰国日にからんで理解に苦しむ辞令文書がある。今村が晩年教鞭をとっていた私立明治法律学校の雑誌『法政誌叢』(明治24年5月15日発行の第127号)が彼の死に当たって掲載した履歴の中に次のくだりがある。

  「十六年四月二十五日 御用掛被仰付但取扱準五等官月俸二百円下賜。同日獨國滞在被仰付。
 十七年二月十九日帰朝。三月五日任外務権大書記官」

 4月25日といえば、まだヨーロッパに居た。もはや官の身分を隠す必要の無い時期に至ったのでこんな辞令が出たのか。疑えばきりがない。
 それにしても板垣外遊は、資金疑惑といい、通訳人事といい、政府によって仕組まれた政治的陰謀の臭いふんぷんである。

 次回は今村和郎の出自から始める。土佐・高岡の富商今村一族「政屋」の後裔であった。またどうやってフランス語を学んだかも探る。(つづく)

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   第一章 板垣退助洋行の添乗員

   辞任させて家族に手当

 今村について驚くべき事実が書かれた手紙がもう一つある。参議兼外務卿で自由党切り崩し工作を進めていた井上馨が、ベルリンの伊藤博文に宛てて明治15年11月に出したものである。11月は板垣退助が外遊に出発した月である。

 「今村を同行為致候は実は滅多な者を付置候而も却て害をなし不都合と存候に付、此辺の事には大に配慮仕、同人なれは適当と思考し同行為致候儀に御座候、尤同人の此行は「コンデヰショナール」に有之、板垣等の欧遊は凡一年間の見込なれは、同人は引続き巴里に留まり行政の「システム」等を取調度志願にて此事予め許諾致置候事に御座候、就ては同人御地へ罷出候節、老台より右の事同人の為め御申立相成候様之都合に御配慮被下度、同人も辞職致し表向きは全く政府の関係を相離居候事故、当方より右様取計候事至て都合悪しく候間、可然御含置相成度候、同人留守宅
の処は内密毎月百円宛給与候事に相成居候、此段も御含迄に申上置候」
 (前掲『伊藤博文関係文書』第1巻175ぺージ。郷土関係出版物では『馬場辰猪全集』第4巻120~121ページ=昭和63年岩波書店発行=や『後藤象二郎と近代日本』230~231ぺージ=大橋昭夫著、平成5年三一書房発行=にも収録されているので目を通された方も多かろう)

 今村は明治15年9月7日付で内務権大書記官(取調局長)を(注3)、同27日には中央衛生会議委員を辞任して政府との関係を断っているが、家族(注4)に月100円の手当が渡されていたとは驚きである。
 この手紙には「此書御覧後御投火被下度候」といった追記はないが、それにしてもこんな証拠書類がよく残ったものである。
 当時の100円は相当な金であった。『明治史要』(修史局)によると、15年8月19日現在の工部大学校教授の年俸は勅任官が3000円から4200円、奏任官が720円から3000円、助教授では300円から1200円とある。

 (注3)東京横浜毎日新聞の明治15年9月8日付1面を見ると、太政官録事欄に「依願免本官並兼官 内務権大書記官兼参事院員外議官補 今村和郎」という7日付の辞令が載っている。
 (注4)後述するが、和郎には5人の弟妹があった。父亡きあと和郎は長男として母やきょうだいを東京に呼び寄せて養育していたようである。(つづく)

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   第1章 板垣退助洋行の添乗員

   結社禁止論となえる今村和郎

 ここに集会条例改正・追加の舞台裏を書きとめた著名な政治家の手紙がある。
 明治15年3月14日、時の最高権力者・伊藤博文は憲法調査のためヨーロッパに向け横浜港を出発した。多難な政局をあとにして1年5カ月にわたる外遊であった。
 留守を預かる側近たちは頻繁に情勢報告の手紙を送った。これはその一つ、差出人は参事院議官の井上毅(こわし)。改正・追加案の内容がほぼ固まった段階、5月20日の日付がある。
 この手紙には、はっきりと今村和郎の名が出てくる。見事な転向を果たして強硬な結社禁止論を主張する中堅官僚の名前を、ある種の感慨をもって伊藤に紹介している。いや、いきなり今村和郎と書き出しているところからみると、この人たちの間では、肩書や説明がなくても通じ合える関係が築かれていたのか。

「御西航前に比較侯へは、四五月間は世之風潮一層迅速を加へ、集会演説之紛擾、地方官之困却を増し候に付、内務卿より上申之末、集会条例中数項之増補を評決せられ近日公布之筈に有之候。一体世間に而政党と政社之区別を知らず、各地に於而政党之名を以而結社団結し、小団結之数其幾何なる歟を知らず。就而全国之結社を禁する之説も有之候へとも、如是果決之政略は一大機会に於而施行するに非れは、却而徒に激動を引起し、変して秘密之結社となり、内政之毒種を蒔候歟と被存候へは、此般は一二之増補に止め、猶後日大有為之日を待つとの論に被決候。此事将来之一問題に有之候へは御賢慮奉冀候」

 雨後のタケノコのように出てくる政党に対して、いっそのこと結社を全国的に禁止しては…という声もあったが、そんな思い切ったことをすると秘密結社だらけになって大変なことになるので今回は見送ったという趣旨であろう。
 その結社禁止論を主張したのが今村であると井上毅書簡は報告している。今村は明治14年11月には内務権大書記官として参事院員外議官補兼任を発令され、改正・追加草案作成の実務を仕切った大森鐘一(参事院議官補兼書記官)を補佐している。
 
 「政社を禁ずるの発議は今村和郎也。同人事、憂国之念極而懇篤にして、世運之挽回せざるべからざる事を論じ、仏国の覆轍に痛省し、深く苦心いたし居候、実に前日之今村にあらず」(『伊藤博文関係文書』昭和48~56年塙書房発行=第1巻328~329ぺージ)

 このような今村を自由民権運動総大将の通訳に推した後藤象二郎の真意は何であったろうか。(つづく)

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  第1章 板垣退助洋行の添乗員

   集会条例の改正・追加

 明治14年(1881年)10月29日、自由党が結成された。15年に入ると、日本立憲政党、立憲改進党、立憲帝政党と、「党」と名のつく結社、つまり政党の結成が相次ぐ。
 この段階から政党とは何か、従来の政社とどう違うのか(つまり集会条例の規制対象になるか、ならないか)が争点となって、取り締まる側と取り締まられる側の間にトラブルが続発する。
 「私たちの集まりは、その目指す目標がすでに決まっておりまして、いまさらそれについて議論(講談論議)するものではございません。よって集会条例の束縛は受けません」というのが政党側の理屈であった。
 政社であろうと政党であろうと、日常生活ではたいして影響はないだろうが、法解釈をめぐる争いとなると話は別である。
 民間側は集会ごとに3日前までに届け出て認可を受けねばならない。
 届け出項目の一つに「講談論議の事項」というのがある。演題だけでは駄目であった。新聞の論説以上のものを求められることさえあったという。
 取り締まる側としても、現場はわずらわしくて仕方がない。学術演説会などと称されて法網をくぐる戦法にはいらだちがつのる。
 条例施行から2年、「詭激の徒が条例外に結社集会して現行条例はほとんど功を奏さず、徒法の姿になった」(注2)というのが、いささか誇張もあろうが政権側の認識であった。
 このまま放置するわけにはいかないと、政府は明治15年6月3日、太政官第27号布告による集会条例の改正・追加を公布する。


 (注2)15年6月1日、集会条例の改正・追加案を元老院会議に上程した際の水木成美・参事院法制部長の提案理由説明。中原英典著『集会条例立法沿革序説』=『明治警察史論集』昭和55年11月良書普及会発行、205ぺージ)

 改正点の第一は第2条。「結社する者」の「結社」のあとに「何等の名義を以てするも其実政治に関する事項を講談論議する為め結合するものを併称す」と長い割注を加え第1項とした。これによって、どんな名前を名乗っても、疑問の余地なく政治結社であると定義し、集会条例の拘束下に置いた。
 そのうえ第2項を設け、「前項の結社及其他の結社に於て政治に関する事項を講談論議する為めに集会を為さんとするときは仍ほ第1条の手続きを為すべし」とした。
 このほか、集会も結社も認可後に取り消すことができ(第4条)、内務卿は集会解散の原因となった演説者に対して1年以内の範囲で全国での演説を禁止できる(第6条)、政治結社の支社設置を禁止する(第8条)などの規定が追加された。
 また学術会などと名乗る集会でも警察官が監臨できることにしたり(第16条)、第18条を追加して内務卿に治安に妨害ありと認むる集会や結社の禁止権を与えた。
 つれて罰条も増え、全文は19条に膨らんだ。創定条例と改定条例が刑法施行(15年1月)をはさんでいるため罰則には「禁獄」と「禁錮」の名称が混在する。そこまで神経が及ばなかったのか、おおらかなのが面白い。また順序からいって第1条と第2条は逆であってもよかったように思う。(つづく)

      
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     龍馬の地探訪-土佐史談会の郷土歴史散歩-
  日時 5月17日(日) JRバスツアー(参加費無料)
  場所 高知県東部方面(安芸・北川村)
  時間 午前9時~午後5時
      高知城北口出発→芸西村(琴ケ浜お龍君枝像)→安芸市
      (岩崎弥太郎生家)→安田町(高松順蔵邸跡)→田野町
      (野根山23士墓)→北川村(中岡慎太郎館、中岡家墓所)
      →帰着
  参加人数 45名
  講師 岩崎義郎(土佐史談会理事)
 参加希望の方は5月7日までに、必ず「ハガキ」でお申し込みください。定員がいっぱいになり次第締め切らせていただきます。
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土佐史談会
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