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 4年目を進行中の「よさこい高知歴史木漏れ日」、100回を数えた機会にひと休みさせてもらっています。八十路の上り坂が少々しんどくなった上に、新パソコンWindows7(64ビット)の機嫌が悪いのが加わって気分は鬱。
 第1回からの目次を作りました。読みたい目次をクリックしますと目的の記事に移動できますので、毎日1件ずつでも読み続けていただくと嬉しいです。
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■2011・02
◇詳細地図でめぐる土佐・龍馬
 ◇兎耳いろいろ
■2011・01
 ◇土佐史談245号を紹介 
◇『汗血千里駒』のこと

■2010・12
 ◇高知藩士になった寺坂吉右衛門
 ◇アンコール 志士のスポンサー淡海槐堂(下)
■2010・11
 ◇アンコール 志士のスポンサー淡海槐堂(上) 
◇坂本龍馬の月
■2010・10
 ◇遂に消える植木枝盛旧邸 
◇近藤長次郎の生涯
■2010・09
 ◇アーカイブス再録 手裏剣の名手渡辺一寸
 ◇室戸岬の中岡慎太郎銅像 
◇新しい土佐史談244号
■2010・08
 ◇明治初期の革姓と革名 
◇土佐の懐中ローソク
 ◇新版固有名詞はむずかしい
■2010・07
 ◇瑞山武市半平太の切腹
 ◇土佐の国主 長宗我部と山内
■2010・06
 ◇時計台下の高知大空襲
 ◇響け「市商」の校歌「鵬程万里」
 ◇アーカイブス再録 龍馬関連2題(その2)龍馬の姉千鶴の夫高松小埜(順蔵)
■2010・05
 ◇坂本龍馬銅像は残った
 ◇アーカイブス再録 龍馬関連2題(その1)志士のスポンサー淡海槐堂(下)
 ◇アーカイブス再録 龍馬関連2題(その1)志士のスポンサー淡海槐堂(上)

 土佐史談会へぜひご入会ください。年会費6000円です。土佐史談(年3冊)が無料配布されます。

■2010・04
 ◇戦中、中学入学の頃(下)
 ◇土佐史談243号紹介します
 ◇戦中、中学入学の頃(上)
■2010・03
 ◇誕生日の贈り物「手紙」をどうぞ
 ◇手代木直右衛門勝任という人物 高知県副知事を務めた龍馬暗殺犯の兄
 ◇江藤新平の土佐潜行をめぐって 岡田以蔵、敬吉、虎輔
 ◇野中兼山の肖像画
■2010・02
 ◇手裏剣の名手 渡辺一寸
 ◇風雲児・山地土佐太郎
■2010・01
 ◇固有名詞はむずかしい
 ◇土佐史談242号をどうぞ
 ◇2010年の年賀状
■2009・12
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(最終第9回)
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(第8回)
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(第7回)
■2009・11
 ◇ちぎり絵で描く龍馬たち
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(第6回)
 ◇龍馬さんに会える展覧会
 ◇高知新聞を読んでくださいませんか(「土佐 歴史細見」の紹介)
■2009・10
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(第5回)
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(第4回)
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(第3回)
 ◇高知の空をとんだ高橋真梨子の歌声
■2009・09
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(第2回)
 ◇万延元年、山田馬次郎のアメリカ紀行(第1回)
 ◇再録 世界遺産姫路城の恩人・中村重遠大佐
 ◇土佐史談会へのお誘い
■2009・08
 ◇政権交代、わが家は増税
 ◇推理・中江兆民先生の辞令
 ◇河田小龍という人(下)
 ◇河田小龍という人(上)
 ◇板垣退助洋行の通訳今村WARAU伝(今村和郎)(最終第15回)

「デジタル史談」ご利用(検索)になれます。

■2009・07
 ◇土佐史談241号ができました
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第14回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第13回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第12回)
 ◇さいとう・べっとう・さーねもり(虫送り)
■2009・06
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第11回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第10回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第9回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第8回)
■2009・05
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第7回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第6回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第5回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第4回)
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第3回)
■2009・04
 ◇今村WARAU伝(今村和郎)(第2回)
 ◇板垣退助洋行の通訳今村WARAU伝(今村和郎)(第1回)
 ◇志士のスポンサー 淡海槐堂(下)
 ◇志士のスポンサー 淡海槐堂(上)
■2009・03
 ◇土佐史談240号が出来ました
 ◇高松小埜(順蔵)=坂本龍馬の姉千鶴の夫
 ◇土佐の高知の事始め 
◇鉛活字の消えた日(下)
■2009・02
 ◇鉛活字の消えた日(上) 
◇谷干城将軍支えた玖満子夫人 
◇谷干城将軍の簡素な葬儀
 
◇移り変わる暮らしの言葉

■2009・01
 ◇姫路城の恩人・中村重遠大佐 
◇囲碁将棋の話
 
◇南国土佐の習俗迷信
 
◇囲碁将棋と五七五とお百姓

 ◇陸を走る船と将棋と(山田馬次郎)
■2008・12
 ◇大河ドラマ「天地人」直江兼継の非情 
◇土佐史談239号はこんな内容 
◇藩政期、情報の伝わり方
 
◇土佐の出か 大石内蔵助の遠祖
 
◇中浜万次郎とルーズベルト大統領
 
◇ライオン宰相浜口雄幸の生い立ち

■2008・11
 ◇四十七士か四十六士か 寺坂吉右衛門のこと 
◇石川島12番監の話(安芸喜代香の講演から)
 
◇戦国時代、女性もかく戦った 『おあん物語』

 ◇長宗我部元親と海賊
 
◇森小弁と冒険ダン吉

 ◇定額給付金と「米100俵」 小林虎三郎と雄七郎

◇大河ドラマ「龍馬伝」と岩崎弥太郎
 
◇山内一豊、わしはカツトヨじゃ
 
◇坂本龍馬はなんと読む

■2008・10
 ◇土佐史壇創刊号の話
 ◇山内容堂公のトイレ


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          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内 3階
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566(FAXと共通)
          Email tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp
          振替口座 00910-3-75719
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 最後に高知新聞の本を宣伝させていただきます。

『詳細地図でめぐる土佐・龍馬』 です。定価1,470円。お求めになるにはまず【ここ】をクリックしてください。内容は以下の通りです。

 ◇高知城を行く 追手門/高知城の石段/石樋と排水路/杉の段の井戸/鉄門跡/本丸正殿 ほか
 ◇泣き虫龍馬 坂本龍馬誕生地/日根野道場跡/水天宮/近藤長次郎邸跡/才谷屋跡 ほか
 ◇太平洋を駆ける 佐々木高行誕生地/鶴田塾跡/島浪間の墓/坂本龍馬銅像/桂浜/川島家 ほか
 ◇龍馬と殿様 板垣退助誕生地/後藤象二郎誕生地/山内容堂邸跡/旧山内家下屋敷長屋 ほか
 ◇龍馬と乙女姉やん 徳弘董斎屋敷跡/坂本家墓地/岡上樹庵の墓/平井収二郎・加尾誕生地 ほか
 ◇なんたって龍馬 広井磐之助邸跡/才谷屋の墓地/若一王子宮/池内蔵太邸跡/望月亀弥太邸跡 ほか
 ◇めぐる縁 国沢新九郎誕生地跡/開成門/寺田寅彦邸/薫的神社/小南五郎右衛門邸跡 ほか
 ◇ロマン再び 丸岡莞爾の墓/沢辺琢磨先祖の墓/和霊神社/甲藤馬太郎の墓/土岐真金の墓 ほか
 ◇いきいき青春 立志社跡の碑/はりまや橋/河田小龍邸跡/開成館跡/武市半平太旧邸 ほか
 ◇アウトロー以蔵 家老福岡家の墓地/谷干城の墓/間崎滄浪の墓/岡田以蔵の墓/岡本寧浦の墓 ほか
 ◇龍馬世界への夢 長芝旧刑場跡/鍛冶屋さま/円行寺薬師堂/田中良助旧邸/柴巻の八畳岩 ほか
 ◇龍馬のルーツ 土佐神社/坂本龍馬先生先塋之地の碑/才谷屋先祖の墓/高村家旧邸 ほか
 ◇志は同じ 宮地彦三郎の墓/大石弥太郎邸/新宮馬之助誕生地/山北両烈士の碑 ほか
 ◇井の中の蛙 穴内送り番所/杉の大杉/旧立川番所書院/水戸浪士との会見地/本山御殿跡 ほか
 ◇龍馬と慎太郎 Ⅰ 「船中八策」の碑/維新の志士顕彰碑/お龍・君枝姉妹像/岩崎弥太郎旧邸 ほか
 ◇龍馬と慎太郎 Ⅱ 高松家旧邸跡/野根山二十三士の墓/清岡道之助旧邸/中岡慎太郎旧邸 ほか
 ◇びっくり維新 北添佶磨屋敷跡/勤王屋敷/深尾邸跡/佐川町立青山文庫/赤土峠の碑 ほか
 ◇須崎港国際事件 須崎砲台場跡/発生寺/武市半平太銅像/中浜万次郎舟出の地/真覚寺 ほか
 ◇維新への道脱藩 吉村虎太郎の銅像/天忠神社/勤王六志士の墓/掛橋和泉旧邸/維新の門 ほか
 ◇漂流者ジョン万次郎 幸徳秋水の墓/樋口真吉邸跡/中浜万次郎誕生地/日新館跡/大江卓旧邸跡 ほか
  高知新聞広告の丸写しです。ごめんください。(2011・2・1夕刊)

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 西暦2011年、平成23年もはや1カ月経ちましたが、ことしの干支は辛卯(かのと う)、兎の年です。「辛」(つらい)はもう一画加えるだけで「幸」(さいわい)となります。兎にまつわる諺(ことわざ)はいろいろありますが、鳶目兎耳(えんもくとじ)兎耳(うさぎみみ)、いずれも情報収集がすばやいことのたとえです。
 『広辞苑』を開きますと、「兎耳」は「うさぎみみ」と読み、よく人の隠し事を聞き出すこと、また、その人と解説してあります。
 藩政時代、いかに早耳であっても人から人へ声か手紙しか伝達手段のなかった時代です。坂本龍馬暗殺の報はどう伝わったのでしょう。
 土佐藩の重役だった佐々木高行の日記『保古飛呂比』に次のようにあります。
 「慶応三年十一月廿七日、晴(中略)空蝉船入津ニテ、坂本龍馬、石川誠之助被害候報知アリ、直様海援隊ヘ相達シ候、渡邊剛八来リ、大ニ憤怒、直様上京、仇討セント云フ、自分云フ、今日ノ天下、一人ノ仇討ノ時ニ非ズ、大仇討ノ策肝要ナリト、理ヲ以テ示諭、剛八漸ク承服ス」
 龍馬・慎太郎が京都・近江屋で襲われたのが11月15日夜ですから、佐々木高行の耳に届くまで12日かかったことになります。この情報は船に乗って高知に運ばれてきました。佐々木の様子は冷静でした。
 いわゆる8月18日の政変で都落ちした三条実美ら攘夷派公卿の警護に当たっていた土方久元が北九州の大宰府でこの報を知ったのは土佐より遅く、月が変わって12月3日。5日に大宰府本願寺で5卿らも参列して追悼の式を挙げています。(土佐史談245号=平成22年12月=松本紀郎「信念を貫いた土方久元の系譜」)
 幕末ペリーの黒船艦隊4隻が浦賀に来航したのは嘉永6年(1853年)6月3日ですが、この大事件の報告が土佐藩に届いたのは、「土佐藩政録」によりますと、2週間後の18日だったそうです。
 岩崎弥太郎が安政2年(1855年)父親の強打事件のため急遽帰国したときは江戸から安芸まで16日掛かっています。(時代は移って現代、環境は大きく違っていますが、間寛平さんがやり遂げたアースマラソンの大阪→東京間は12日、福岡→大阪は18日。) 

  前々回に赤穂47士の寺坂吉右衛門が江戸ー赤穂間を3日で駆け抜けたと紹介しましたが、ちょっと速すぎる気もします。

 『土佐史壇』13号(大正14年)をひもときますと、杜山居士の筆名で「昔の郵便の不便」という記事がありました。筆者は土佐史談会の会長もつとめた寺石正路氏です。

 大石内蔵助らの吉良邸討ち入りの発端となったのは、浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に切りつけた殿中刃傷事件ですが、浅野家ではこの日2回、急使をもって赤穂に急報します。

 江戸城本丸松の廊下で事件の起こった元禄14年(1701年)3月14日午前、まず早水藤左衛門らが早打ちで出発します。
 内匠頭は異例の早さで即日切腹の処分となり、こんどは原惣右衛門らが早打ちで西に向かいます。
 早打ちとは馬を馳せて急を知らせることと『広辞苑』にあります。
 2つの急使は昼夜兼行175里を走り、18日赤穂に到着です。
 4日かかりました。さすが1藩1城の浮沈がかかった緊急事態の速報です。吉右衛門の3日が本当なら新記録ですが…。

 しかし、こんなことは例外中の例外、万延元年の大事件がどんな具合に伝わったか、資料で見てみようというのが杜山居士の一文です。

 資料というのは土佐藩士・森正名(1805~1873年)の日記です。横谷(おうこく)と号し、『土佐人物志』『有馬入湯紀行』など多くの著述を残しています。
 万延元年の大事件というのは大老・井伊掃部頭直弼が殺された、いわゆる桜田門外の変のことで、3月3日雪の朝でした。
 事件の日は当時の年号では安政7年。この事件のため3月28日に至って万延と改元されました。
 森横谷はこの年、まだ安政7年です、3月11日、若干の同行と中国畿内への旅に出ます。その日まで土佐にはなんの噂もありませんでした。
 16日、伊予(愛媛)道後温泉で旅館棉屋万次郎の妻から初めて事件を知らされます。 「此の日亭主の妻女いふ。江戸表に御大老井伊様を、水戸浪人十数人にて、御下城の所を桜田御門外にて打取りたりと、一両日前より風聞あり」
 「御下城」とあり、情報はゆがんでいます。
 大変なことゆえ口外ならぬといわれていたのか、小声だったそうです。
 森一行は瀬戸内海を渡って20日安芸(広島)に着きます。中屋栄助という旅館に投宿し、金子徳之助という老学者を訪ねます。
 金子「井伊侯、桜田御門外にて盗のため害に遭い給いしの説あり、聞き給えるや」
 森「松山にて商人の話に、井伊侯3月3日桜田門外にて水戸浪人20人ばかり面を包み御駕籠の両方より切り懸かり遂に侯を突き殺したりと聞けり」
 金子「松山にてもその説あれば、いよいよそのことありしも知るべからず」
 こんな問答があったと記されているそうです。

 杜山居士は次のように感想を述べています。

 「金子翁は霜山と号し芸州の大儒なり、芸州は浅野家にて中国の大藩なり、この藩この人にして、桜田騒動の後17日目にして、未だその事実の確否を知らず、これを他藩の人、他藩の噂に聞き尋ねて、初めて事実の確的らしきを認む。封建時代通信機関の不備不便なる、言語の外なりというべし」

 この事件、幕府は最後まで極秘のうちに処理し、後日急病のため死亡したとするのですが、私は、江戸から遠く離れた松山の宿屋のおかみが、この極秘情報を2週間足らずのうちに得ていたことに、杜山居士とは別の驚きを感ずるのです。坂本龍馬の場合と比較して…。

 この時代、情報は旅人の口から口へと伝わったのでしょうか。だとすれば、旅館というところは情報の交差点。

 なおこの桜田門外の変、訪米中の遣米使節団は4月23日にフィラデルフィアの新聞で知ることになりますが、殺されたのが井伊直弼とは分からなかったようです。3月には閏月がありましたので約80日かかったことになります。

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     維新の群像10講座
土佐史談会は平成22年度郷土史講座として「維新の群像10講座」を開いています。既に9講座を終わり、あと25日の板垣退助で終わりです。
          講師   テーマ
  5月29日 永国淳哉 ジョン万と小龍(了)
  6月27日 渡部淳  山内容堂(了)
  7月31日 松岡 司 武市半平太(了)
  8月27日 宅間一之 吉田東洋(了)
  9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士(了)
 10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土(了)
 11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎(了)
 12月10日 今井章博 後藤象二郎(了)
  1月29日 谷  是 岩崎弥太郎の生涯(了)
  2月25日 公文 豪 板垣退助
 場所 高知県立文学館ホール
 時間 午後1時30分~3時30分
 参加費 無料(参加人数は100名)
  葉書かFAXで申し込みください。

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          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内 3階
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 土佐史談245号(2010年12月)の内容を紹介します。「明治維新の群像」特集号です。
◇巻頭言=松岡司(1ページ)
◇幕末土佐の国是(藩論)=松岡司(14ページ)
◇田中光顕と「志士」顕彰‐維新史料論との架橋-=高田祐介(17ページ)
◇溝渕廣之丞と幻の「自然堂」=渋谷雅之(14ページ)
◇吉田松陰と坂本龍馬を繋ぐもの-小田村素太郎(楫取素彦)を通して-=加藤健太郎(13ページ)
◇幕末の板垣退助=公文豪(17ページ)
◇明治維新の群像 中濱万次郎~その帰郷の意図と黒船来航~=永国淳哉(23ページ)
◇信念を貫いた土方久元の系譜=松本紀郎(14ページ)
◇土佐勤王党と須崎の志士たち=香崎和平(7ページ)
◇坂本龍馬の遺志を継いだ男・菅野覚兵衛(千屋寅之助)=佐藤寿良(15ページ)
◇樋口真吉のこと=南寿吉(15ページ)
◇堀見熈助と民権政社佐川南山社=間宮尚子(12ページ)
◇土佐史談会関東支部 第九回例会報告=石川泰志(1ページ)
◇歴史サロン 歪められた吉田東洋像=竹本義明(2ページ)

 明治維新の群像特集と銘打つにしては少々少ないのでは…との声もありそうですが、これらの論考はいずれも読み応えのあるものばかり。
 例えば「幕末の板垣退助」、筆者の公文豪氏はその前書き「はじめに」でこの稿の狙いを次のように述べています。長くなりますが、そのまま引用させていただきます。
     ※          ※
 司馬遼太郎氏の板垣冷評が、国民的作家であるがゆえに、戦後の板垣評価に多大な影響を及ぼしたことは間違いないであろう。『翔ぶが如く』では、「板垣は元来、幕末にあって格別に革命運動をしたというほどの苛烈な経歴はもっていない。かれは土佐藩の藩官僚で、藩の洋式軍隊をにぎっていたことが、戊辰戦争での功績になり、維新の元勲になるという結果になった。土佐藩での革命運動は郷士や下士がにない、多くは脱藩し、めぼしい人物のほとんどが死んだあと、維新の果実だけを、板垣退助や後藤象二郎といった上士出身者が食うというかたちになった」と述べ、「板垣などの栄達はかれら(注・武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎など)の死に載っかったものであった」とまで極論している。
 乾退助が、「馬上天下を取るものは、馬上之を復するにあらずんば、到底二百有余年の覇政を覆へすこと不可能」と、一貫して武力倒幕論を唱えたことはよく知られている。このため山内容堂の怒りをかって再三藩の要職を却けられ、藩内佐幕派からは水戸浪士隠匿の罪を弾劾され、死地に立った事もある。半年に及ぶ砲煙弾雨の戊辰戦争を闘い、会津攻略に及んだことは、果たして「格別に革命運動をしたというほどの苛烈な経歴」に値しないのだろうか。
 司馬氏の板垣評価をつらぬくものは「下士勤王派史観」ともいうべきもので、かなり皮相な見方である。板垣の栄達が革命運動の苛烈な経歴をもたず、維新の果実だけを食い、瑞山、龍馬、慎太郎等の死に載っかっただけのものとすれば、のちに自由民権運動の指導者として旧土佐勤王党員らもふくめて衆を率い、県民の熱狂的な信頼を集めるようなことはなかったであろう。「司馬史観」の粗漏さは、あらためて検証する必要があると思う。
 本稿では、こうした問題意識から、上士、下士の対立を止揚して土佐藩を一藩勤王に導き、明治新政府確立に貢献した板垣退助の役割をあらためて考察しようとするものである。
     ※          ※
 これらの論考を総評して土佐史談会理事の松岡司氏は巻頭言で「明治政府がすすめた志士顕彰の変化という新見地からの大胆・沈着な好論、理性的分析によった時代や志士の紹介論などがあるかたわら、深い郷土への愛、郷里の偉人をたたえた温かい文もみられる。佐幕派に関する研究がないのはやむを得ず、これは当面必要であることを認識していただき、おおむねバランスよく収められている」と述べています。


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     維新の群像10講座
土佐史談会は平成22年度郷土史講座として「維新の群像10講座」を開いています。既に8講座を終わり、新年は29日からです。
          講師   テーマ
  5月29日 永国淳哉 ジョン万と小龍(了)
  6月27日 渡部淳  山内容堂(了)
  7月31日 松岡 司 武市半平太(了)
  8月27日 宅間一之 吉田東洋(了)
  9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士(了)
 10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土(了)
 11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎(了)
 12月10日 今井章博 後藤象二郎(了)
  1月29日 谷  是 岩崎弥太郎の生涯
  2月25日 公文 豪 板垣退助
 場所 高知県立文学館ホール
 時間 午後1時30分~3時30分
 参加費 無料(参加人数は100名)
  葉書かFAXで申し込みください。

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          土佐史談会
          高知市丸の内1-1-10 高知県立図書館内 3階
          〒 780-0850
          ℡ 088-854-5566(FAXと共通)
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  あけましておめでとうございます。
 「よさこい高知歴史木漏れ日」も4年目に入りました。いまはわずか月2回ペースの更新ですが、アンコール編も含めながら続けて行きたいと思っています。
          ※          ※
 昨年暮、結婚情報サービス「オーネット」がアンケートで調べた「結婚のお世話をしたい(そろそろ結婚してほしい?)芸能人」1位に、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬を演じた福山雅治さん(41)があげられていました。
 また大晦日のNHK紅白歌合戦では本職の歌のほか長髪龍馬の断髪式のパフォーマンスも見せてもらいました。
 その龍馬を最初に世間に紹介した小説『天下無雙人傑海南第一傳奇 汗血千里の駒』の著者は坂崎紫瀾(さかざき・しらん)であることは広く知られています。
 「龍馬伝」にもちらちら顔を出していましたが、浜田学の扮する紫瀾が千葉佐那の灸治療を受けながら横になっている岩崎弥太郎を取材するシーンが記憶に残っています。弥太郎が痛がってました。おそらく『汗血千里の駒』の資料集めだったでしょう。
 「本名、謙次のち斌(さかん)。嘉永6年(1853年)、土佐藩医・坂崎耕芸の二男として江戸鍛冶橋土佐藩邸に生まれた」と『高知県人名事典新版』(高知新聞社刊)にあります。
 「安政3年(1856年)4歳のとき家族とともに高知に帰り、藩校致道館に学ぶ。明治元年(1868年)16歳で致道館の助教句読席掛となる」
 この若さです、英才ぶりがうかがわれます。
 明治3年、藩費で廣島に遊学。頼山陽の遺風を慕ってのことでしょうか。翌4年には迎えられて彦根藩の藩校の教授となって彦根に赴任、6年には東京に出てニコライ師の塾に学びます。ニコライ師は本名イオアン・テミトロウィチ・カサーツキンというロシア人。後年、東京駿河台に有名な大聖堂、通称ニコライ堂を建てたのはこの人です。
 紫瀾は旧来の儒教に見切りをつけてキリスト教に入ろうとしたのでしょう。忽ち認められて少講義という役を与えられますが、教義のことでニコライ師と激論、牧師となることをあきらめて7年には高知へ帰ってきました。(滝石登鯉「紫瀾雑録」=土佐史談115号・昭和41年)
 ニコライといいますと思い浮かぶのが龍馬の従兄弟・沢辺琢磨。しかし紫瀾、琢磨の出会いはなかったようです。この時期、琢磨は仙台で布教活動をしており、捕えられて獄にあったからです。(福永久寿衛著『沢辺琢磨伝』。同書刊行会から単行本にもなっていますが、それに先立って土佐史談121号=昭和43年=から136号まで13回にわたって連載されています。)
 『汗血千里の駒』は井口刃傷事件の描写から始まります。
 井口刃傷事件というのは身分差別のひどかった土佐藩で、文久元年(1861年)3月4日の夜起こった上士と下士の血で血を洗う争いです。
 ここに紫瀾は坂本龍馬を登場させます。
 「寅之進(下士池田寅之進)が割腹の血汐へ己が刀の下緒(さげお)(白糸なりしと)を浸し韓血(からくれない)となりしを手に把りて「各々(おのおの)見られよ、之(こ)れぞ世(よ)にも猛男(ますらお)が魂魄(たましひ)残りし最後の紀念(かたみ)、池田は我国軽格の元気を振興させんが為め身を犠牲(いけにえ)に供したり、努々(ゆめゆめ)姑息(こそく)に流るゝなかれ、盡(つく)せよ盡せ国の為」と押戴(おしいただ)きて元の如く刀に結(ゆい)つけ、家内の者に会釈をなして悠然と立去りし其挙動(ふるまい)には一同感じて竭(や)まざりし、是(これ)ぞ汗血千里の駒が驥足(きそく)を舒(のぶ)る(すぐれた人がその才能を十分に振るう)開結(いとぐち)なり」(土佐史談会復刻版『汗血千里駒』7~8ページ)
 歌舞伎で大見得を切るような振る舞いをさせていますが、人権無視の封建体制に抗して死んだ池田の血潮を己が血潮とした龍馬に寄せる紫瀾の熱い思いが伝わってきます。
 ところで波乱万丈の龍馬の生涯に例えられた汗血千里駒とはどんな馬でしょうか。
 今から約2200年前、中国・漢の武帝が大宛(中央アジア・フェルガナ地方)へ大遠征軍を派遣し、多大の犠牲を払ってまで求めた馬で天馬と讃えられました。
 フリー百科事典ウィキペディアには「血のような汗を流して走る馬という意味で汗血馬(かんけつば)=アハルテケと呼ばれる」とあります。
 さらに「汗血馬は1日に千里(約500km)を走るといわれている。もちろんこれは誇張であろうが、現存するアカール・テケという品種は4152kmを84日間で走破したという記録が残っており、この馬は汗血馬の子孫ではないかといわれている」と続いています。
 汗血馬という名前ですが、実際に血を流していたのか、そういう風に見えたのかよく分かりませんが、『史記』巻24「楽書」には次のような「天馬の歌」があるそうです(小島瓔禮編著『人・他界・馬』163ページ、一部略)
 「赤い汗がその体を濡らし、口から吐く沫(よだれ)は赭(あか)い色を流している。浮雲を踏みつけて、遥か万里の彼方まで飛び去ってしまう。天馬に匹敵できるものはなく、龍しか友とはなれない」
 高知県競馬組合競走馬診療所で獣医師をしている畏友によりますと、今の競走馬でも走って帰ってくると特に四肢、また上部の体表でも、こすって小さな静脈が切れ、血がにじんでいることがよくあるそうです。馬の汗には界面活性剤のような成分が入っていて、わずかな出血でもよく溶かして体表に広がりやすく、目立つといいます。
 坂本龍馬直柔がどんな思いをこめて龍馬を通称としたか私には分かりません。
 中国では龍が馬に化し馬が龍に姿を変えるという「龍馬伝説」がしばしば伝えられており、或はそんな影響があったのでしょうか。『西遊記』で三蔵法師を乗せて天竺まで旅する白馬は途中で龍となって妖怪と戦います。
 「龍馬伝」のタイトルバック、七色変化の龍の巨体がうねっていました。このドラマは日本では終わりましたが、台湾では既に始まり、韓国、タイでも放送が予定されています。
 高知でも「土佐・龍馬であい博」に引き続くイベントとして「志国高知・龍馬ふるさと博」が準備されています。

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     維新の群像10講座
土佐史談会は平成22年度郷土史講座として「維新の群像10講座」を開いています。既に8講座を終わり、新年は29日からです。
          講師   テーマ
  5月29日 永国淳哉 ジョン万と小龍(了)
  6月27日 渡部淳  山内容堂(了)
  7月31日 松岡 司 武市半平太(了)
  8月27日 宅間一之 吉田東洋(了)
  9月19日 西山 均 清岡道之助と二十三士(了)
 10月30日 熊田光男 吉村虎太郎の自然と風土(了)
 11月26日 岩崎義郎 中岡慎太郎(了)
 12月10日 今井章博 後藤象二郎(了)
  1月29日 谷  是 岩崎弥太郎の生涯
  2月25日 公文 豪 板垣退助
 場所 高知県立文学館ホール
 時間 午後1時30分~3時30分
 参加費 無料(参加人数は100名)
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